○豐臣關白北條征伐出陣の事附本多重次放言の事
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秀吉此出陣の時、濱松の城に宿せらる。本多作左衞門折節御使に參りて歸りけるが、旅裝の儘にて諸將の中に進み出で、東照宮を見かけ奉りて、如何に殿は何時より斯く愚になり給へるや。國を持つ人の城を人に貸す事や候。然らば女房をも人に貸し給はんか、と罵りける。東照宮、彼は本多作左衞門と申す剛の者にて候が、家久しく眠くて只今の樣なる事を申すにて候。無禮の詞を申し候、と仰せ有りければ、人々承り、偖は承り及びたる本多殿にて候ひけるよ。斯る事申す人多く有るべきや、と賞し合へり。作左衞門物荒き人なりけるに、三奉行の中に命ぜられ政を執りしに、甚だ仁愛の事のみにて獄訟を斷るに理正しく、四民昵き服しけり。東照宮の神慮淺からぬ御事なり。