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○豐臣關白北條征伐出陣の事附本多重次放言の事

卷之九 第2話 · 段落 2 · NDL 1078984 162コマ R

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秀吉北條を討たるゝ時、諸將浮島が原に並居て秀吉を待つ。秀吉糸緋威の物具著て、唐冠の冑黄金を鏤めたる太刀佩きて、土俵の大なる羽壺に征矢一筋指し、仙石權兵衞が參らせし朱の滋藤の弓持ちて、七寸有りける馬に金の瓔珞の馬甲かけ、靜に步ませて打通られけるが、東照宮信雄と共に出迎ひ給ふを見て馬より下り、如何に貳心有りと聞きたり。いざ一太刀參らん、と太刀の柄に手を懸けらる。東照宮左右の人に向はせ給ひ、軍始に太刀に手を懸けられ門出の目出度候、と高らかに仰有りければ、秀吉何とも言はずして又馬に打乘り通られけり。
秀吉此出陣の時、濱松の城に宿せらる。本多作左衞門折節御使に參りて歸りけるが、旅裝の儘にて諸將の中に進み出で、東照宮を見かけ奉りて、如何に殿は何時より斯く愚になり給へるや。國を持つ人の城を人に貸す事や候。然らば女房をも人に貸し給はんか、と罵りける。東照宮、彼は本多作左衞門と申す剛の者にて候が、家久しく眠くて只今の樣なる事を申すにて候。無禮の詞を申し候、と仰せ有りければ、人々承り、偖は承り及びたる本多殿にて候ひけるよ。斯る事申す人多く有るべきや、と賞し合へり。作左衞門物荒き人なりけるに、三奉行の中に命ぜられ政を執りしに、甚だ仁愛の事のみにて獄訟を斷るに理正しく、四民昵き服しけり。東照宮の神慮淺からぬ御事なり。