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○加藤淸正天草の一揆退治の事

卷之十 第5話 · 段落 1 · NDL 1078984 180コマ R

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加藤主計頭淸正、小西攝津守行長各肥後半州を賜はりしに一揆起る。天草領は島にて一揆の勢甚盛なり。小西志岐城を攻めけるに、天草木戶の一揆の長天草民部後卷に押寄せ、志岐の東の山に陣す。淸正の先陣山岡道阿彌、岡田將監、南部無右衞門、小野木織部、瀧野三位、莊林隼人、森本義大夫段々に進む。淸正鵤平次をして先陣を見せしむるに歸らず。又飯田覺兵衞を遣られしに飯田見切つて歸る。平次、只今軍始らん先に進みて戰に逢ん、と云ふ。飯田、知らぬ事は言ふまじきよ。先陣只今追立てられん。戰に逢ふ場に非ず、とて連れて返る。淸正、如何に、と問るゝに、飯田、先陣は今打負けて敵追駈け來らん。二の勝は旗本に候、といふ。淸正、證は如何に、と問ふ。敵東の山に陣し地の利を得たり、と言ひも果ぬに、先陣敗北して一揆驀地に懸り來る。淸正高き處より橫合に突いて懸り、天草民部敗軍せしを三里許追討にしたり。淸正十文字の鎗を突折り、七度鎗を合せ、其勢に乘じて志岐の城を攻落されけり。淸正の鎗は十文字にて三日月の形なり。志津の作なりしが突折りて片鎌と成りし刄を拾取りて、佛木坂の神宮に納めしとぞ。鎗の鞘熊毛なりしに、瘧煩ふ人有れば、其毛一筋拔きて戴かするに、忽落ちけると言傳ふ。朝鮮人は今に至るまで、小兒の啼く時鬼將軍來ると云ひて啼止みけるとかや。かばかりの猛將類稀なる事なり。