駿河を攻めらるゝ時、東照宮橫目の人を召して、昔より皆朱の鎗の柄、瑇瑁の柄は、武功勝れたる者ならでは持せざるに、近比は持たする者の數多有りと聞く。心得難き事なり。改めよ、と仰出されけるに、皆朱の柄の鎗持せ、菖蒲革の裁附を著て通る者有り。誰ぞ、と問ふに、細川越中守が士澤村大學、と答ふ。此の由を申しければ、東照宮、其大學は若き時才八といひつるが、小牧にての事なりし、秀吉二重湟の軍兵を引き取る時、秀吉六萬許靑塚に陣せしを、吾小牧より押寄せて、引き退く敵を打破る。其時細川忠興秀吉の先陣に有りて、才八眞先に進みて鎗を合せし有樣、今も猶目の前に見るが如く覺えたり。斯かる大剛の者に持たす可し、とて、其餘の者を禁ずる事よ、と仰せられしかば、澤村傳へ聞き、今更我功名を世に擧げたる忝さ、と悅びけり。