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○石谷定淸御供に參る事

卷之十一 第5話 · 段落 1 · NDL 1078984 192コマ L

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石谷十藏定淸は、先祖は遠江石谷村の人なり。大坂御出陣の時江戶に殘させ給ひしに、御跡より從者一人に具足箱を脊に負せ、自ら鎗を荷ひて潛に江戶を出で、駿府にて追附き奉りけり。兼て心易かりし近習の人に賴り、江戶に殘り申す事口惜く存じ、重き御法を破りて參りぬ。首を刎ねられん事は素より覺悟したる事なれば、如何に御咎蒙らんとも露ばかりも悔む事は候はずと申上げて給はり候へ、と言ひしかば、將軍には殊に法制を嚴に思召し給ふなれば爭か御許されの有るべき。若し御宥有らんには御跡より引續きて追々に來るべければ、必ず烈しき刑に行はれなん。然れども捨置くべき事ならねば斯くと申すに、台德院殿默して御座します。十藏は旣に我事聞えつる上は、今夜か明朝は首を刎られなん、とて待ち居たりしに、十藏呼べ、とて召されけり。思ひ極めて進み出づれば、如何して法を破りたるや。憎き奴哉。切つて棄てばやと思へども、若き者なれば許すよ、と仰せ出されて黃金二枚賜りけり。扨て、江戶へは重ねて、誰人にもあれ一人も忍びて御供に參りたらば重罪たるべし、と固く仰せ出されたるとなり。