利長の兵山田勘六郞は、十四歲にて父の仇を討ちたる人なり。或日利長孥藏1の戶を開くとて、山田に鑰を預けられし故、急ぎ來れ、と呼れしに、遲かりければ忿つて、持たる杖にて突れしに、思はざるに額に中りて血流る。跪きて平伏せしに脇差の鞘走りければ、手向もするや、とて疊みかけて杖にて打たんとせられしを、側より山田を引退けたり。山田此より病と稱して引籠り居たりしに、關ヶ原の亂起りて利長大聖寺の城を攻むる時、一段高き所に打上り武者押を見物せらる。山田五六十人許引具し、今日を最後と出立ちて押通り、城に著くと先駈して一番に乘込み、鎗にて乳の下を突き貫され、痛手なれば堞の下に落つる。兼て從者に言ひ含めしかば、息絕えざる內に利長の前に舁き來る。利長見て後悔せらるゝ事甚しく、其過を懇に斷りて淚を流さる。山田軈て死にけり。行年二十歲。世に優れたる美男なりしが、大剛の働して討死しけり。其前日親しき朋友に奇南香を分ち贈りしを、其頃大聖寺奇南香と言ひて持囃したりと言へり。
- 誤植孥藏 — 底本「孥藏」。振り仮名「どざう」から「帑藏」の誤植か(「孥」を「帑」の代わりに用いる例もありうる)。