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○淺井畷合戰前田丹羽の將士功名の事附松平久兵衞軍學鍛煉の事

卷之十五 第8話 · 段落 10 · NDL 1078984 250コマ L

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前田利長の士松平久兵衞、若き頃より兵書を讀み一飯の間も懈らず。常に人に語りて云く、此一人に對する業に非ず。萬人を一刀に斬るの道なり、といへり。利長大聖寺の城を攻落し引返す時、利長の士大將山崎長門守、淺井畷よりせん、と云ふ。久兵衞、道細く左右深田なれば、大軍の進退如何有るべき。半退きたらん時長重兵を出さば、進退共に叶ひ難かるべし。敵は案內者なり、必定味方利候はじ、と言へ共山崎聞きも入れず。旣に大聖寺を攻落し、大軍なれば敵は攻められざるを能きにして、爭か討つて出づべき。若軍を出さば押包み、一人も剩さず討取るべし、と云へば、久兵衞、長重は勇將なり。大聖寺の後詰に後れ、口惜く思ひて打出でんに、其鋒日比に倍せん。吾は怠り、敵其虛を討たば危き事に候。又誰にもあれ、吾城を馬の蹄に蹴散して過ぎ行く敵に、箭の一筋も射懸けずして屈まり居る者や候べき。明日の軍陣を亂され候な。我敵を恐れぬ證は、明日人々に知らせんものを、と云ひけり。其夜物主皆張番を出す。山崎打巡り見て、久兵衞が足輕は何故に味方近くに置きたるや、といふ。久兵衞聞きも敢ず、勝敗の理を知らず、敵を侮り勇に誇りて、利害に暗き身の士の下知する事こそうたてけれ、といへば、山崎聞きて、敵を恐れてしかしたるならん、と罵りしを、側より、詮無き爭よ、と留めけり。久兵衞愈憤りて、强敵に當りて目を驚かさん物を、と思ひ定めて居たりけり。
其夜長重は士大將を集め、江口三郞左衞門を大將として夜駈せんとなりしに、俄に大雨にて風烈しく、夜討を止められしかば、江口、風雨は夜討に好む所なり、と言へば、人々皆尤と申しけるに、長重、否々、御幸塚の左右沼にて、人馬の掛引心に任せじ。明日敵引取る時追詰めて、思ひの儘に討勝つべし、と云はれしとなり。
又一說、長重鐵炮の音を聞き、後れな者共、とて馬に鐙を合せて駈せ附けられしかば、江口振顧みて、今に初めぬ此殿の早業哉、と悅びけり。長重、我淺井山を取りきり敵の頭上より打竦めなば、盾を突かする事有らじ、と言はれしかば、江口、尤も然るべし、とて後より續きたる兵三百人を引具し淺井山に登り、敵を目の下に見下して鐵炮を打懸けければ、坂井與右衞門直吉も馳來る。長重愈競ひ懸りて、一足も前に進め。一寸も退くべからず。と下知せられけり。金澤の軍、小止み無き終夜の雨に假の陣屋も有らざれば、物具皆霑れとほり、鐵炮の銃口に水入り火繩もふり消され、左右は泥なり、多くは膝甲樣の物を投げ入れ、足溜とせしと言へり。
長父子蹈み止り、此處を專途と戰ひけるが、討たるゝ者多し。長好連茲年十八歲、手の者數多討たせ、敵の中に駈け入りて討死せんとせしを、橫田久右衞門馬の口に取附き引返す。長重の軍勝に乘り剩さじと追詰めたり。太田但馬は殿の陣に軍有りと聞き、兵を返して馳來る。水越縫殿介山城橋に於て、鎗を提げ敵に向ふ。松平久兵衞は太田が陣にて足輕を下知して居たりしが、銀にて飾りたる冑を著、黑き物具にて馬を駈け寄せ來り、馬を乘放し水越が前につと進出で、小松の士拜鄕治大夫と鎗を合せしかば、水越も續いて安孫子作大夫と鎗を合す。
爰にて雙方手負ひ討たるゝ者多し。互に精力盡きて、相引に引退いて物別せしなり。後に利長二人の前後を問はれしに、久兵衞申しけるは、縫殿介は初より蹈止り候へば、一番誰か爭ふべき、と申す。縫殿介は、久兵衞敵に鎗を合せし事早く候へば一番に候、と申す。利長聞きて、武功は猶及ぶ者有らん。斯く讓る志、萬人にも越えたり、とて一番を松平に定められ、共に感狀與へられぬ。松平此時祿五百石、後三萬石を賜りて伯耆といひけり。
一說、松平を松原に作る。何れか是なる事を知らず。一說に、此日金澤の士七人鎗を合せける中にも、岩田傳左衞門小松方の手負ひたるを首を取らんとせしに、松平久兵衞、岩田今日晴なる鎗を合せ、其上に拾首何にかせん、と言ひしかば、岩田尤なりとて同時に引取りしとなり。後に岩田が曰く、首を取りて大音上げ、岩田傳左衞門鎗を合せ又首を取つたり。引取口の殿と呼はらば、一芝居にて三度の功名なるべきに、松平が物師故、己が下知につけて引取らせし、とて後に悔みけるとなり。岩田後に內藏介と稱す。又利長、淺井にて鎗合せし士に感狀與へられし由小松に聞えしかば、小松の士共、殿にも御感狀下し給はらんや、と云ひけるを、長重、淺井畷は道細く左右深泥にて、掛引自由ならず。勝敗定かならざるは理なり。され共退く敵を追詰め、橋の彼方にてせり合を始め、橋の此方にて物別せしかば、引取る敵に少しながらも追返されたるに似たれば、人々、武勇の働はさる事なれども、感狀は與ふるに及ばず、と言はれけり。