e405.p01校訂済299R:3–7別細川忠興に、冑の物ずきを如何にせばや、と言ふ方の有りしに、詳に書き記して使に與へられけり。使、立物の下地桐の木と書き給へるは折れ易き物にて、如何候はん、といへば、忠興色を變じ、汝は弓箭取の使とも覺えぬなり。軍に臨む者誰か生きて歸らんと思ふべき。二つ無き命だに然り、何條立物の折るゝを厭ふべき。輕きこそよけれ。立物の折るゝばかりに働きたらば、何の見苦しき事有らん。ひと面目にてこそ有れ、といはれけり。
e405.p02校訂済299R:8–10別天正元癸酉年七月、信長淀の城を攻落されしに、岩成主稅助を細川藤高の士下津權內打取りし時、忠興八つの年なりけるが、長岡監物が肩に乘りて、監物が立物鹿の角に取附き、見物して興に入りたりしを、人見て後年の生先を推計りけると也。