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○松平信綱恭敬の事附信綱幼年奉公の事

卷之十八 第32話 · 段落 2 · NDL 1078984 297コマ L

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松平伊豆守信綱出仕の時、裏附の上下著る事無し。屋敷に有りても是を著られず。常に言はれしは、人の心衣服によりて變ず。出仕して恭敬を存せずしては忠を盡す事を得難し。先衣服より心を附けて恭敬を忘るべからず。我に於ては斯くの如く勉めざれば、忠勤を成し難し、と云はれけり。
信綱實は大河內金兵衞元綱の子、伯父正綱の嗣となる。幼名長四郞とぞ申しける。嚴有院殿御誕生有りし時より御家人になされ、御遊相手にぞ候ひける。大殿の御寢殿の軒に雀の巢をくひ子を產みたるを、若君此方より御覽じて、長四郞よ取りて進せよ、と仰せけるに、年十一歲なれば如何にも叶ふまじき由を申す。晝は驚きて飛去りもやせん。能く見置きて、日暮れて此方の軒に梯指して登り、忍び行きて取るべし、と有合ふ人々勸めければ力無く、日暮に忍び登りてやう〱傳ひ行きけるが、蹈み損じて御壺の內にどうと落つ。大猷院殿御刀執らせ給ひ障子開かせ給へば、御臺所燈火取つて出でさせ給ひ御覽ずるに、長四郞にて有りけり。大猷院殿、汝は何故爰には來れるぞ、と御尋有りしに、今日の晝御殿の軒に雀の子產みたるを見て、餘りの欲さに取りに參りて候、と申す。否々己が心にはあらじ。誰が敎へけるぞ、と樣々に御推問有れども、幾度も爭ひぬ。年比にも似ぬ不敵なれば、疾く大なる袋の中へ押入れて口を御手づから封じ給ひ、柱に掛けさせ給ひ、事の由を有りの儘に申さざらん程は、何時までも斯くて候へ、と仰せけれども、猶詞を換へず。夜旣に明けて常の御座を出させ給ふ。御臺所は早く心得させ給ひて、彼が幼き心にて身の悲しさを顧みず、竹千代君の仰なりと申さざる事を深く感じ給ひ、女房達に仰せ有りて、朝飯を召して食べ候へ、とて賜はりて、又口を封じ給ひてけり。晝程入らせ給ひて、又御推問有れども遂に其詞屈せず。御臺所御詫言有りしかば、さらば重ねてを愼めよ、と仰せ有りて御赦あり。御臺所に向はせ給ひ、彼が今の心にて生立ちたらんには、竹千代殿の爲には雙無き忠臣にてこそ候はめ、と殊の外に悅ばせ給ひけるとかや。されば諸國の大名の代々奉りし人質を返し、殉死を禁じ大佛を鑄て錢とし、明曆の火災、東都の城廓を始め悉く灰燼となり、諸人焦爛に苦しむ。殊に去年由井正雪の逆徒の騷有りし後なれば、人々心安からざりしに、信綱事に臨みて立所に執り行ひし事皆其所を得て、程なく世の人心も靜まり、昔に替らぬ時となりぬる事、古の賢輔にも恥づべからず、と申し傳ふる所なり。