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○明の鄭芝龍援兵を乞ふ事竝稻葉正勝諫言の事

卷之二十 第4話 · 段落 2 · NDL 1078984 316コマ R

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大猷院殿の御時、國姓爺日本に援兵を乞ひければ、諸長臣を御前に召出され、是を捨て置かれなば日本の恥なり。援兵を遣さるべき旨仰せられしに、小事たらざる故に各兎角を申出で兼ねられし處に、稻葉丹後守勝正1、援兵の事然るべからざる旨再三申されければ、色を變じ內に入らせ給ひけり。明日又召出され、昨日申せし處思召に叶はざりしが、熟御思慮有りしに、申す處理なり。援兵に及ぶまじき由仰せ出されたり。
  1. 誤植 — 底本「勝正」。標題・実名とも「正勝」。振り仮名「かつまさ」。
明の末鄭芝龍と言ふ者、萬曆年中日本に來り、肥前松浦の平戶に在り。又長崎にも在りて、崇禎年中に明帝より召返されけり。平戶に在りし時妻とりて子を生む。其子を鄭彩といふ。芝龍官を得て、長崎の奉行に告げて妻子を迎ふ。公に申して許されを蒙りたり。明滅びし時、大祖忠苗裔を福州に建てて元を隆武と號す。淸と度々戰ひに及びて勝ち難き故に、援兵を乞ひたりしなり。明帝朱姓を賜ひければ國姓と稱し、爺は老成を尊むの詞なり。芝龍が事明末の書に詳に錄せり。