大坂冬の軍に、東照宮、本田出雲守1忠朝に、京口に行きて川水を見來れ、と仰せらる。忠朝歸りて、水の勢甚だ强く候、と申す。又井伊直孝に、見て來れ、と仰せられしに、直孝歸りて、水淺く渡り易げに候、と申すを聞召し、出雲は父に劣れり。川水は女童も知る所なり。出雲イ掃部に見せしむるに及ばず。出雲を遣りしは心有りての事なるを知らざりしよ、と仰せられけり。物見の詞は子細の有るべきに、心附かざりしにや。是に依りて忠朝、口惜しき仰をも受けぬるかなと思ひて、夏の軍に必死を期して、我と同じ枕に死なんと思ふ者は起請文を書け、と言はれしに、加藤忠左衞門、大屋作左衞門、藤井次左衞門、臼杵七兵衞等起請文を書きたりけり。小野勘解由は、士の軍に出でんに命惜む人やある、とて嘲笑ひて打立ちけり。斯る所に五月七日天王寺口の先陣を忠朝に仰せ出されければ、忠朝大に悅ばるゝ時、小野進出で、明日一の幸にて討死、二には一番鎗、三には高野に入らん、といふ。忠朝打頷きて居られけり。茶臼山の下へ進んで毛利豐前守勝永に向ふ時、小野、斯る足輕の並居樣は忽ち破るべし、といふ。忠朝耳にも聞入れず。小野、口際の黄なる殿の何を知り給ふ、と嘲る時、加藤も進み出で、足輕の並居候有樣は軍には見ず。只大多喜イ大せこにて鹿狩にはよからん。彼に見ゆるは忠左衞門が足輕なり。誠に戰に向ふ有樣なり、と打笑ふ。忠朝、憎き詞かな、とて眉尖刀を提げて懸られしかば、小野、只今討死して殿に見せ申さん、と言ふ儘に眞驀に馳行く。加藤は眉尖刀の鐏にて敲かれて是も乘出す。忠朝は百里と名附けたる馬に乘り、一文字に進む所に、小野敵に取卷かれ鎗玉に上りて討たるゝを見て、本多出雲守ぞ。續け者共、と大音あげて呼はりけるを、毛利に附けられし秀賴の物頭雨森傳左衞門以下七八人、透間も無く懸りければ、忠朝持鎗續かざりしによりて、數鎗を押執り突伏せ突伏せ戰はれしを、紺の羽織著たる足輕二間ばかりに詰寄せ鐵炮にて打つ。忠朝の胸に中りしかども、忠朝ちつともひるまず馬より飛下り、其敵を只一太刀に切殺す。口取に兼て持たせられし鐵の筋金入りたる鼻ねぢを左に持ち右に刀を提げ、敵七八人切伏せ、多兵に取卷かれ散々に戰ひ、痛手二十餘ヶ所負ひて討死せられしかば、大屋は其屍の上に取附きて切死にしたり。藤井、臼杵を始として皆同じく討死す。忠朝の首は雨森取りたり。後脫字家に仕へて六千石與へらる。
- 誤植本田出雲守 — 底本「本田」。標題は「本多」。振り仮名「ほんだ」。