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毛利勝永
本文表記 毛利・勝永・毛利豐前守勝永・豐前・豐前守勝永・毛利豐前守
眞田昌幸父子三人始末の事 卷之十七 · 7
- p16…り。後藤は大和口の先陣にて平野に陣しぬ。五月六日の夜、信仍、毛利豐前守勝永と二人打連れて後藤が陣に行き、明けなば國分の山を踰え、三萬の…
- p16…期の盃せり。後藤は六日の夜半に打出で道明寺口にて討死しけり。毛利は藤井寺に陣を進めし處、早後藤が軍破れ、關東の軍兵二三十萬も…
- p16…て馬煙蹈み立てて來るを見れば、金の蠅取の馬印にて眞田なれば、毛利が陣も勇み合へり。信仍、譽田の方に進めば、偖は愈二心よ、と人…
- p16…鐵炮に打勝つたる有樣を傳へて稱しけり。信仍士卒を立固め靜々と毛利が陣に來る。大介今年十六歲、組討して取つたる首を鞍の四方手に…
- p16…を鞍の四方手に附け、手負ひたるが、流るゝ血をも拭はず馳來るを毛利見て、天晴父の子なり、と感じけり。信仍毛利が手を取り淚を落し…
- p16…をも拭はず馳來るを毛利見て、天晴父の子なり、と感じけり。信仍毛利が手を取り淚を落し、時刻遲く後藤が討死せし故、謀空しく成りぬ…
- p16…故、謀空しく成りぬるも、豐臣家の運盡きぬる所なり、といへば、毛利、今日大敵に打勝たれし武勇の有樣、古の名將にも優りたり、とぞ…
毛利勝永大坂に入る事 卷之二十 · 10
- p01…關ヶ原亂の後、毛利森とも記せるあり豐前守勝永は土佐へ流罪せられしに、大坂…
- p01…關ヶ原亂の後、毛利森とも記せるあり豐前守勝永は土佐へ流罪せられしに、大坂に事起ると聞き、或夜妻に言ひける…
- p01…。妻は夫に從ふ道とこそ聞きて候へ。其御志を承らばや、といふ。勝永曰く、我武名を傳へて數世に及びぬるに、斯く沈み果てなん事口惜…
- p01…候べし。運命目出度く頓て逢ひ奉らん。急ぎ給へ、と言ひければ、勝永悅んで小舟に取乘り、大坂に至り籠城しけり。其後山內對馬守より…
- p01…悅んで小舟に取乘り、大坂に至り籠城しけり。其後山內對馬守より豐前が妻を固く縛め置き、斯くと告げられしかば、東照宮聞し召し、勇…
- p01…られしかば、東照宮聞し召し、勇士たる者の志感賞すべき事なり。豐前が妻罪する事有る可からず、と懇に仰せ有りければ、豐前が妻大坂…
- p01…事なり。豐前が妻罪する事有る可からず、と懇に仰せ有りければ、豐前が妻大坂の城中に入りけるとぞ。…
- p02…一說に、父壹岐守勝信も土州に流されしが病死しぬ。勝永土州に在て年月を送りけるが、時時其從子宮田甚三郞を大坂に遣り…
- p02…問はせけり。斯る所に大野より秀賴兵を起すの旨告げ遣りしかば、勝永、土佐守忠義を欺き關東へ忠を致すべし。先非を改め舊領に復せん…
- p02…文右衞門と相謀り、難無く式部、藤兵衞を連れて舟に乘りければ、勝永悅んで船を出し、共に打連れて大坂に至れりといへり。…
大坂城中軍評定の事 卷之二十一 · 1
- p01…破れて後、秀賴軍評定の時、第一坐に長曾我部、次に眞田、其次に毛利豐前守列坐せり。秀賴、大野修理を以て、今度の合戰各所存を問はれけり…
藤堂家合戰渡邊勘兵衞功名の事竝渡邊始末の事 卷之二十一 · 1
- p03…て城中に引入る敵を妨ぐるの術なり。此時高虎兵を進めば、眞田も毛利も城中に歸り入る事を得まじきに、と世に言ひしとぞ。直孝、高虎…
本多忠朝討死の事 卷之二十二 · 2
毛利勝永軍配相違の事 卷之二十二 · 3
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