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○毛利勝永軍配相違の事

卷之二十二 第6話 · 段落 1 · NDL 1078984 343コマ R

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大坂五月七日、毛利豐前守勝永は軍を押出せしが、住吉の松蔭に白旗見ゆれば、此駿河の大御所なるべし。一文字に切つて懸り、討死せんと志して兵を進むる所に、白旗見えざりしかば、長井傳兵衞、水野伊右衞門に見て來れとて遣りけるが、暫く有りて乘歸り、住吉に白旗は見えず、と言ひけり。此は東照宮御旗を俄に卷かせ給ひ、茶臼山の後に控へさせ給ひける故とかや。勝永は小倉の城主壹岐守が子なり。勝永が子を式部といふ。父子共に秀賴に從ひ、蘆田矢倉に籠りて自害せり。