安藤彥四郞重能は帶刀の子なり。成瀨豐後守が組にて台德院殿の御小姓組なりしに、武士長生して諸方の事に逢ひ武功多く、死なずして世を送るは、さまで勝れたる勇士とは云ひ難し。只潔く討死せんこそ本意なれ、と常に言ひけるが、大坂五月七日に、一番首といはば彥四郞、一番に討死といはば彥四郞と思ふべし、といひて、しなひの指物を卷きて井伊直孝の先陣に行き、菴原助右衞門に向ひて、是非懸れ、と言へども、助右衞門同心せず。待ち受けたる箭先に如何にして懸るべき、といふ。彥四郞、其箭先へ懸りてこそ勇士とはいふべけれ、と言へども同心せず。彥四郞、さらば懸りて見せん、といふを押止むれども少しもためらはず。敵の中に駈入りて討死しけり。帶刀馬上に麾を取り軍兵を下知しける時、從者彥四郞が屍を引退けんとするを見て、犬に喰せよ、というて乘廻る。北ぐる味方を立直せしが、軍終りて後大に愁傷の色現はれしとぞ。