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庵原朝昌
本文表記 菴原・菴原助右衞門・助右衞門・菴原氏
井伊木村挑戰重成討死井伊家諸士功名の事竝橫田甚右衞門藤堂高虎を激す事 卷之二十一 · 16
- p01…菴原助右衞門は、井伊家の士大將にて軍奉行なり。大坂夏の軍に、五月六日に道…
- p05…重成が一陣、鎗の鉪を揃へて待ちかけたれば、川手を突伏せたり。菴原は堤の上に折敷きて居たるが、川手が倒るゝ時、腰に差したる金の…
- p05…を蹈みたてて、井伊が軍兵一同に㗢と押懸り、木村が陣を切崩す。菴原は十文字の鎗を橫たへ、進んで木村を目にかけて立向へり。木村、…
- p05…は十文字の鎗を橫たへ、進んで木村を目にかけて立向へり。木村、菴原を二鎗まで突きたりしに、菴原鎗のしほ首を握り、珠數を手に懸け…
- p05…木村を目にかけて立向へり。木村、菴原を二鎗まで突きたりしに、菴原鎗のしほ首を握り、珠數を手に懸けたるが、念佛を唱へて野猪の暴…
- p05…りて突伏せたり。安藤長三郞駈來りて、其首給はらんや、といふ。菴原聞きて、大坂落城日有らじ。敵の大將の首取る事易からじ。與ゆる…
- p05…首取る事易からじ。與ゆるぞ、といへば、安藤、木村が首を取り、菴原、母衣かけたる武者を討取りて、其首に母衣絹添へて奉る事軍法な…
- p05…備へんに、母衣絹に包まれ候へ、とて母衣絹を安藤に與へしかば、菴原が從者母衣の出しにしたる白熊金のねぢ竹は、菴原が許に留めけり…
- p05…に與へしかば、菴原が從者母衣の出しにしたる白熊金のねぢ竹は、菴原が許に留めけり。…
- p06…村と戰ひける時後れたり。敵敗北に及びて長三郞走り附きたるを、助右衞門見て、あれに腰掛けたるは能敵なり。討取れ、といへば、長三郞、…
- p06…三郞、動かずして死人の如くなる者討つて功名にあらず、と答ふ。菴原强ふれば長三郞步寄り、詞をかくれども、只首取れ、とのみ言ひて…
- p07…川手、滿座、山口は軍の場に死し、遠山は、敵の首を取りて菴原に見する、とて立ちながら死す。鷺坂は小溝の中に倒れしが、口の…
- p07…しが、息出でて助かりぬ。皆敵に逢ふ事早かりしかども、軍奉行の菴原が下知無き以前故に拔駈とし、八田を一番鎗に定められ、東照宮御…
- p11…菴原が子の主稅助、北ぐる敵を追駈けて組討しけるに、助右衞門馳寄り…
- p11…菴原が子の主稅助、北ぐる敵を追駈けて組討しけるに、助右衞門馳寄りて、如何に主稅心靜にせよ。爰にて見物する、と言ひけり。…
- p11…に人々、子の敵に組みたるに援けざりしは如何に、と問ひけるに、菴原、誰も子は可愛きものにて候、とのみ答へけり。…
安藤彥四郞討死の事 卷之二十二 · 2
大坂の役木村長門守を井伊家へ擊取る事 拾遺 卷之三 · 10
- p01…合の晝飯を食したるを、井伊家の斥候般若內膳見て歸り、先手の將菴原助右衞門へ告ぐ。菴原鎗を取つて懸ると木村も走出でて鎗を合せ、二間一尺…
- p01…、井伊家の斥候般若內膳見て歸り、先手の將菴原助右衞門へ告ぐ。菴原鎗を取つて懸ると木村も走出でて鎗を合せ、二間一尺五寸の直鎗、…
- p01…と云ひて流行たるに、木村も免許を得たる功手なる故、此鎗を以て菴原が內冑を二三ヶ所も突きたれども、鎗の穗短く切突にてちよつ〱と…
- p01…きたる故、頰の邊にかすり手なる故、突拔いて突倒すこと能はず。菴原は一間半程に身の七八寸程ある鎗をべつたりとはりのけて、木村を…
- p01…後より井伊家の若士安藤長三郞來つて、此首を揚げんか、といふ。菴原、揚げ候へ、というて、安藤に首を揚げさせ、木村が腰に指したる…
- p01…安藤に首を揚げさせ、木村が腰に指したる白熊の旆を引千切りて、菴原が腰に附けて引取りたるとなり。此首誰が首とも其時は知れざれど…
- p01…其時は知れざれども、白旆故に大將分と見えたる故に、後證の爲に菴原取りて腰に附けたるとなり。後に木村が首と知れたる故、安藤も元…
- p01…りて腰に附けたるとなり。後に木村が首と知れたる故、安藤も元來菴原氏鎗附けたれば、首を揚げたるまで、と斷りたれども、菴原は井伊家…
- p01…も元來菴原氏鎗附けたれば、首を揚げたるまで、と斷りたれども、菴原は井伊家の老臣年七十有餘にて、常に肱に珠數を掛けて念佛のみ唱…
- p01…功とし、今に至つて木村をば安藤が討取りたると天下に稱するは、菴原武功にて大人しき仕方故となり。右上泉義鄕の直談なり。詳此合戰…
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