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○丹羽左平太才覺城を落つる事附左平太初陣義氣の事

卷之二十二 第15話 · 段落 2 · NDL 1078984 347コマ R

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丹羽左平太は織田信雄の小姓なりしが、後秀賴に仕へ、大坂落城の時泉州貝塚まで落行きしに、野伏道を遮り取卷きければ、丹羽、我を殺さんとにや、又甲冑を奪ひ取らんとや。著たるもの剝がれなば恥なり。我旣に日本國を皆敵にしたれば世にあらんとも思はず。出家せん。僧一人呼びて給はれ、といへば、野伏僧を連來る。丹羽、さらば、と言ふ儘に立寄る體にて僧を犇と押へ、刀を胸に當て人質にしけれは1、野伏等も詮方なく、何方迄も送り申さん、といふ。夫より紀州和歌山に緣の人有りけるに告げ遣りて、迎の人來て紀州に匿れ居たりしが、程なく赦を蒙りてけり。
  1. 誤植 — 底本「しけれは」。濁点が欠けたか(「しければ」)。
左平太長久手の軍には小牧に殘されしが、朋輩の石黑八十郞に、年幼しとて旗をだに見ざるは口惜し。後の咎は有りともいざ、と言ふより馬に乘り、長久手指して駈行く時、石黑丹羽に向ひ、今日の敵は池田ぞかし。池田の士に叔父の善內といふ母衣の士あり。行會ふならば如何にせん、といふ。丹羽、人々君の爲とは言へ共、叔父を討たんも如何なり、など言ひて後には駈離れしが、軍旣に終りて落行く武者有りしに、丹羽追附いて馬より突落せしが、母衣懸けたる敵なれば、名乘れ、といふに、石黑善內、と答ふ。丹羽聞きて、云々の故ありとて、落ちられよ、と言うて馬に搔乘せたる處に、高木筑後守走來り、何とて敵を落すぞ、といふに、丹羽子細を答ふ。高木、幼年の働といひ其志を感じ、後に東照宮に其由を申す。小牧にて信雄の陣所に渡らせ給ひ、勝軍の祝に酒宴の有りけるに、左平太事を問はせ給へば、只今給事せし小姓なり、と答ふ。今日斯る事の候、と仰せられしとかや。其後秀賴に仕へて大坂の軍の前關東に使せしかば、之に乘りて奉公せよ、とて馬を賜はりけるとなり。