同家士
梅原庄右衞門は
伊賀の武羅組なり。指物を橫に斜にさす。是をおいね刺といふ。右へ斜にさす時は、太刀にさはる故に、左の方へ斜にさすなり。此士の三本靡に鉛子十七中る痕あり。此士刺物の柄を打柄にして請筒待請合足を强く丈夫にする。此意は、或は城乘の時、石垣屏高く登り難かりしを、下人石垣の上へ早く登り、
庄右衞門が刺物を取りて引揚げ、一番に城を乘りたる故に、以來如
㆑此するとなり。此士元來
池田伊豫守秀雄の家士なり。又此士頰當の露おとしの穴を廣くする。此意は、頰當を著し飯を食する時、頰當の透よりおとがひに落充りたるを、指を入れて掃
㆑之に宜しとなり。又氣も散じ方々宜しとなり。
梅原は
江戶淺草知樂院伯父なり。