信玄の士
小幡豐後、何の戰にか敵地にて物見に出でたりしが、歸路を敵に取切られたり。
豐後猶靜に敵合の樣子を見終り歸らんとする時、敵兵追
㆑之。
豐後初通りたる道より遙に脇に在りし池へのり込み、馳歸りて、敵の虛在り、と申せば、
信玄則ち兵を前めて利を得られたり。
伊達政宗の士
茂庭周防或時物見に出でて、伏兵に圍まれて討死す。不
㆓逃走
㆒は
茂庭が勇なり、と譽る者あり。或人聞きて、物見は敵を見て引取る事恐るゝにあらず、斥候は軍の勝敗の掛る重任なり。之を譽むるは其道を不
㆑解が故なり、と云々。