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○源君御扈從中根左源太勘氣御免の事

拾遺 卷之四 第19話 · 段落 1 · NDL 1078984 431コマ L

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松倉長門守勝家は、島原肥前の國則勝家領之の賊の事に依りて身上滅亡せり。勝家の士飯村助兵衞と云ふもの、浪々して藝州廣島松平安藝守光盛の城下に來る。廣島の諸士島原の事を尋聞く。或とき天野半之助、飯村に、城中より長州の手へ夜討は無かりしや、と問ふ。飯村答へて、その儀なり。松倉家はその備尤嚴にして雲火を投外聞を出し、夜打などは思ひよらず、と云ふ。天野笑つて、長州の家も末になりて、ことの意を解する人なかりしにや。古老の士あらば左はあるまじ。夜討のかゝる樣にしてこそ大利は有るべけれ、と云へり。天野は始め源君の御扈從なり、中根左源太と號す。傍輩の士と口論して出奔し、後大坂の役道明寺口にて、松倉豐後守重正に屬し、働功有りければ御勘氣を許され、淺野但馬守長盛に仕へ祿二千石、光盛の代迄奉仕せり。