本多佐渡守の弟に三彌と申しゝは、以の外に直言をいひ出す人なり。台德院樣に御奉公申上げけるに、或時權現樣、三彌は能拗る者なり、と上意なり。其後一萬石拜領なり。權現樣三彌を召し、料簡を改め人柄を嗜む故ならん、と上意有りければ、三彌承り、將軍樣は殊の外御奉公申上げ能御座候。あの如くなる主君にすね申すは、氣違に候、と申上げられければ、權現樣、三彌が持病又おこりたり、と御笑ひなされ候。又或時幸若八九郞高館を舞ひけるを御上覽の節、武藏坊辨慶は世に勝れたる者なり。今の世には少かるべし、と權現樣上意ありけるを、三彌進み出で、判官殿のやうなる主君ありかね申すべく候。辨慶は御座あるべく候、と申されけり。曹源寺樣松平伊豫守綱政朝臣の御時、御大名中御振廻の席にて、辨慶の事御物語に出でしに、辨慶ほしき事と評判のありけるに、木下肥後守末席より、いや其辨慶少もほしく御座なく候。判官殿の料簡になり申し候へば、私の家來は殘らず武藏坊や佐藤兄弟になり可㆑申候。それ故何とぞ判官殿になり申度しと久しく心掛申候へども、まだ得なり申さず、口惜く存候由いひ出されしかば、曹源寺樣聞し召し、唯今の肥州の理窟は、拙者父新太郞が常申したる事にて候。能旦那になり度と心掛け、いろ〱種々工夫し候へども、能旦那に成候道合點いたし不㆑申。書物を出し學問仕候へば、能旦那の道知れ可㆑申と一心不亂に存極め、それより思案分別致し、古の聖賢の掟を稽古いたし、寢てもさめても忘れ申さず、少し旦那になり候道を合點いたし候と、拙者へ申聞候。日本國に響き渡り能御存の新太郞事、如㆑斯いましめ申たる段と、今の道理と一つ事にて候へば、肥州には新太郞流と申すものにて候。此上の道理有㆑之まじく候、とて御賞美ありけるとぞ。