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高橋紹運
本文表記 紹運・兩將・彌七郞・紹運公・麻布外記・紹連・外記・鎭種・此人
立花道雪行狀の事 卷之八 · 1
- p02…と言ふ。立花の跡を嗣ぎし故立花と稱す。始の名は鑑連、男子無く高橋紹運の子を養ひて嗣とす。…
立花道雪高橋紹運猫尾城の寄手に加はる事附道雪死去の事 卷之八 · 13
- p01…十日攻むれども落ちず。大友の兵、長陣に氣疲れたりと立花道雪、高橋紹運聞きて、宗麟に馳せ加はり然るべし、と相謀り、俄に兵を出し、二…
- p01…郡內山江原へ打上る。是より黑木の猫尾へ押行くべし、と下知し、紹運先陣たり。今宵ははや夜半過ぎたり、月傾きぬ。筑後川の邊にて夜…
- p01…にて夜は明けなん。然らば敵の中數十里押通る事は如何あらん、と紹運の從士言ひければ、道雪へ斯くと言ひ送らるゝに、道雪色を變へ、…
- p01…ける萩尾大學、由なき使をして恥辱に逢ひたるぞ、とて馳せ歸る。紹運の從卒の謀し如く、筑後川へ押著くれば夜明けたり。渡る處はかた…
- p01…代して歸りけるが、何方より、誰の軍を押させられ候哉、と問ふ。紹運、餘すな、と下知し取卷きて、一人も殘らず討ち取り、首を小高き…
- p01…出せば、狙ふべき透間無くて、中中當らざりしかば、道雪、如何に紹連の士に手練は御座さぬか。彼討たせ給へ、と詞をかくれば、紹運市…
- p01…に紹連の士に手練は御座さぬか。彼討たせ給へ、と詞をかくれば、紹運市川平兵衞といふ士に命ぜられけり。平兵衞、承り候、と言うて、…
- p01…より道雪へ使を以て、唯今討死を遂ぐべし、と申し送るを聞きて、紹運大返に返さずば味方の後陣危くて、此の切所を越え難かるべし、と…
- p01…は爰に陣す可し、とて曠原に折敷かせたり。俄に雨降り來れども、兩將打廻りて士卒に詞をかけ勞はらるゝに、本より兩將の恩惠に懷き服…
- p01…降り來れども、兩將打廻りて士卒に詞をかけ勞はらるゝに、本より兩將の恩惠に懷き服したる者共なれば、些とも疲を覺えざりしとぞ。斯…
- p01…明けの夜黑木に押附けられしかば、豐後の兵競ひ合へり。宗麟も、兩將の擧動鬼神の業なる可し、とて崇敬し、諸卒に及ぶ迄遇し爲られけ…
- p01…後に歸りければ、思ひ〱にて事ゆかず。宗麟も引き返されしかば、兩將も高良山に陣して其の年も暮れぬ。明る天正十三年の夏に及びけれ…
- p01…年も暮れぬ。明る天正十三年の夏に及びければ、陣替爲可しとて、紹運は赤司に屯を換へ、道雪は北野村天神の壇に移られしに、病み附て…
高橋紹運討死の事附立花統增薩摩に囚るゝ事 卷之八 · 41
- p01…伊集院右衞門大夫忠棟を大將として、兵五萬を以て筑前岩屋の城主高橋紹運を攻む。岩屋は要害の地に非ず、寶滿が嶽に楯籠て防ぐべし、と言…
- p01…屋は要害の地に非ず、寶滿が嶽に楯籠て防ぐべし、と言ふ者有り。紹運、爰を去て寶滿が嶽に入りたればとて勝つ可きに非ず。敵に恐れて…
- p01…藏守忠元矢留を乞ひて、城中に申す可き事の候、と呼はりければ、紹運聞て、何事にか候、と問ふに、新納申しけるは、紹運の武勇世に名…
- p01…はりければ、紹運聞て、何事にか候、と問ふに、新納申しけるは、紹運の武勇世に名高しと雖も、大友家に組せられ、亡び衰へられん事近…
- p01…一張一弛と申す事の候。疾義久と和平せられ候へ、と言ひければ、紹運聞きて、斯申すは高橋家にて麻布外記と申す者にて候。只今承り候…
- p01…和平せられ候へ、と言ひければ、紹運聞きて、斯申すは高橋家にて麻布外記と申す者にて候。只今承り候旨紹運に申す程の事にも候はず。聊義…
- p01…きて、斯申すは高橋家にて麻布外記と申す者にて候。只今承り候旨紹運に申す程の事にも候はず。聊義の當れる所を申すべし。人々能聞れ…
- p01…にて尼子、大內等、一度は盛にて一度は衰へずと言ふこと候はず。紹運今の限に成りてよも冑を脫ぎて降參せうと存ず可きや。大友の家も…
- p01…は仕らじ、と高聲に呼はりければ、新納も又言ふ事も無かりけり。外記とは名乘りけれども、紹運ならで斯る詞戰せん人や有る、と云ひ合…
- p01…ければ、新納も又言ふ事も無かりけり。外記とは名乘りけれども、紹運ならで斯る詞戰せん人や有る、と云ひ合へり。斯くて猶降參を勸め…
- p03…、とて或は腹を切り或は敵と引組んで刺違へ、枕を並べて討死す。紹運は江淵右衞門大夫、三浦式部、黑岩隼人に、女童共皆刺殺して敵の…
- p05…りて千八百人の士卒一人も迯散る者の無かりしは、例少き事なり。紹運始は鎭種と申しけり。…
- p05…百人の士卒一人も迯散る者の無かりしは、例少き事なり。紹運始は鎭種と申しけり。…
- p06…るゝに先だちて寶滿が嶽に入れられし故、害に會はずと言へり。又紹運薩摩の軍を見渡したるに、馬煙黑く押來る。紹運人々に向ひ、今押…
- p06…はずと言へり。又紹運薩摩の軍を見渡したるに、馬煙黑く押來る。紹運人々に向ひ、今押來る敵六十已下二十歲已上の者共なるべし。今軍…
- p06…らず討死すとも言へり。又寄手の大將を島津家久なりとも言へり。紹運の物具の引合に一封の書有り。島津中務殿と書きたれば、家久是を…
- p06…送り屆け給はり候へ、となり。中務、類稀なる勇將を殺しけるよ。此人を友とせば如何ばかり嬉しからんに惜き事よ。弓箭取る身ほど恨め…
- p06…再拜しければ、義を感ずる國風にて薩摩武者皆燒香して淚を流し、紹運を稱美しけると言へり。又一說に、天正十四年六月、島津圖書頭、…
- p06…し、兩將より莊嚴寺の僧を使として、此度太宰府に攻め寄せ候は、紹運に對し弓箭取る可きに非ず候。筑紫廣門二心有るに依り是を討つ可…
- p06…有るに依り是を討つ可き爲にて、旣に廣門を生捕りぬ。寶滿が嶽に紹運の實子を置かれ候て、堅く守らせられ候事謂れ無きに似たり。疾く…
- p06…謂れ無きに似たり。疾く〱寶滿を渡され候へ、とぞ云ひ送りける。紹運、承り候ひぬ。素より一言の仰無く、押て大軍を以て某が守り候城…
- p06…の禮に非ずと申すべし。扨統虎も道雪の家を續て立花と稱す紹運も今に有りては關白秀吉に屬し候へば、寶滿も岩屋も關白の城にて…
- p06…らず候、との答を使僧歸りて云ければ、とても弱々と城を渡す可き紹運に非ず。去ば圍む可し、とて諸手口々の攻手を定め、七月十四日よ…
- p06…。或時嶺の手の寄手より矢留を乞ひて、新納藏人と申す者にて候。紹運公に申す可き事候、と言へば、紹運麻布外記と名乘りて詞戰ひに及べ…
- p06…て、新納藏人と申す者にて候。紹運公に申す可き事候、と言へば、紹運麻布外記と名乘りて詞戰ひに及べり。藏人詞を盡し利害を說き、大…
- p06…新納藏人と申す者にて候。紹運公に申す可き事候、と言へば、紹運麻布外記と名乘りて詞戰ひに及べり。藏人詞を盡し利害を說き、大友殿には…
- p06…きに候とて、島津に屬せられ候やうに申し給はらんや、と言へ共、紹運節義を說きて屈服の色無く、來春は關白九州へ兵を出さる可く候。…
- p06…て、八ヶ國の大軍を引受け、堅固に城を守らるゝ事廿日に及べり。紹運公の武勇九州に無雙たるべし。寶滿立花岩屋とも子細候まじ。和談を…
- p06…の覺にて候間人質を一人賜りなんや。然らば此後大友島津和談は、紹運公の心に有るべし。事成りたらんには其時人質を返し、九州一統島津…
- p06…後中國に押渡り、島津家天下に旗を立て候べし、と云ひ送りしかば紹運許容せず。人質を關白か大友家に出さん事はさも有りなん。秋月種…
- p06…紫廣門が反心を糺明せん爲なり、と神文を書きて賜はり候ひなば、紹運、事能く計り候べし。然らずば此城を以て墓所とす、と答へられし…
- p06…つたる城兵、各持口を一足も引かず切死にしたりければ城陷りぬ。紹運の左右には名を得たる剛の者共五十人許に討ちなされたるが、後度…
- p06…二陣を遙の谷底へ捲り落しければ、半時許は攻め入り得ざりけり。紹運手負討死の士卒を見廻りて、死たる者には無二の忠節謝するに詞な…
- p06…の圍に、士卒一人も落散らざりし類無き事よ、と言ひ合へり。其後紹運薙刀を提げ、思ふ程戰ひて辭世の和歌を扉に書き附け、三十九歲に…
- p06…送り返さず。其後肥後の吉松と言ふ所に移し番兵を附け置きたり。紹運の內室は筑後の北の關と言ふ所に移し置き、偖立花へ使を以て、降…
- p06…、偖立花へ使を以て、降參せられんやと言ひ送る。統虎實父にて候紹運は、關白の爲に自害を遂げ候ひき。我又紹運の爲に自害を遂ぐべし…
- p06…送る。統虎實父にて候紹運は、關白の爲に自害を遂げ候ひき。我又紹運の爲に自害を遂ぐべし、とて、軍兵を寄せられよ。此城の切岸にて…
- p06…者に軍兵數多指添へて、北の關に押寄せ、薩州の番の者を追散し、紹運の後室を奪ひ取り頓て立花へ送り屆けたり。後室此比は法名を宗雲…
- p06…とて驍勇無雙の大將なり。過にし天正十年十月六日、秋月と道雪、紹運、宇龍野にて軍有りし時、紹運自薙刀を把り烈しく戰はれしに、統…
- p06…し天正十年十月六日、秋月と道雪、紹運、宇龍野にて軍有りし時、紹運自薙刀を把り烈しく戰はれしに、統虎十六歲にて初陣なりし。其器…
- p06…にて初陣なりし。其器量を見て、道雪養子にして家を嗣す可き事を紹運に乞ひて、吾子にせられしとぞ。…
紹運齋藤鎭實の妹を娶られし事 卷之八 · 6
- p01…紹運若き時彌七郞と言ひし比、兄の鑑理、齋藤鎭實の妹を彌七郞に妻せ…
- p01…紹運若き時彌七郞と言ひし比、兄の鑑理、齋藤鎭實の妹を彌七郞に妻せられよ、と約…
- p01…紹運若き時彌七郞と言ひし比、兄の鑑理、齋藤鎭實の妹を彌七郞に妻せられよ、と約束せられけり。其砌豐前中國と軍有りて殊に騷…
- p01…砌豐前中國と軍有りて殊に騷くて、迎へ取らずして打過ぎぬ。其後彌七郞鎭實に對面の折から、兄が申し交せし如く迎へ取る可きに、軍の最…
- p01…屆けらる可きに非ず。今にては參らせん事叶ひ難し、と言ひし時、彌七郞色を變へ、夫は存も寄らざる仰を承りぬるなり。齋藤家は先祖大友…
- p01…、とて頓て婚禮あり。其腹に二人の男子出來にけり。此迎へ取し頃紹運二十歲に及びたりしとかや。…
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