又然る處に二三日過而水野日向守御目見へに參而有。小栗又一郞大久保彥左衞門も有つる處に御座の間より書院へならせ給ひけるに、日向守を御らんじて、今度は何としたるぞと御意被成ければ、日向守申上けるは、さればせんばの方より三百騎斗住吉之方へ參申たるが、其內より三十騎程天王寺の土井に奉付而參申たるが、何方へ參りたるを不存候と申上られければ、其時御諚に、汝がしるべしと御諚なれども、人を指而の御諚なければ、おうけを申上る人もなければ、彥左衞門手を付而、うしろの方をみければ、汝が事なり汝がそこにいたればしりつらんと御意なれば、されば天王寺の土井の方よりもすぐ道の御座候ひつる。其よりにげ出申者がちやうす山の方より岡山の方へ參本道へ罷出申て、本道をくづれ申者と一つに罷成申而參申に付而、敵味方之見わけは不存と申上ければ、其は敵かと御意有りければ、敵のかほは見しり不申、ずいぶんの地行取衆が逃來り申つるが定而其中へも入而參申か不存候。其くづれ而參候衆が御鑓をもふみちらし申、馬之上にてかなぐり取而切折り申而もちて參候。それを見てやりかづき共が又きりをり申たるも御座候と申上ければ、御諚にさても〱腰拔めかな、やりの短きがよきと云事をばいつしりたるぞ。然ば其者共は何方へにげけるぞ。御前の方へ參申つるが、御前樣より某などは御先に罷在つる儀に御座候へば前後は不存と申上ける時、其儀ならばやりはなきかと御たづね被成ければ、御鑓も御座候へども多分無御座と申上ける。相國樣は三間柄より短きをば惣別にきらわせ給ふ事なれば、鑓をきり折り申たる者を腰ぬけと思召儀共なり。然る處に其明の日二條の御構ひの火たきの間にての事なるに、松平右衞門は御旗は見ぬと云。彥左衞門は御旗は立たるに何とてたゝざると仰候哉と云。いや我等共は見ずと云。又云、七本之御旗の立たるを何とて見給はぬ哉と云。また立たる御旗をたゝぬとはいわれ間敷と云ければ、其の時こゝに御入候各々は見給ふかと右衞門にいわれて、時の出頭におそるゝか、我も見ぬ〱と各々口を指上云ければ、さればこそ聞給へ、御旗は立ざるにきわまりたり、我等共も見ず各々も見ぬとの給ふに、御身一人斗立たるとの給ふはたゝざるが必定成と云。又云實に〱左樣にも可有、頓て心得たりと云。何と心得給ふと云ければ、云べつの儀には有間敷、おそれながら各々の暗の夜程に御らんぜば、我は月の夜程に見申べし。月の夜程に御覽ぜば我等は晝程に見可申。よく〱存知候へば各々は其元へ御越候はで御越有と仰候物か、若其元へ御越候とも、七本之御旗を御らんぜずんばあわて給ふか。其儀ならば不可然と云ければ、重而之戰鬪はなし。然間彥左衞門申は、其時御旗もおさまりて後具足をぬぎて、ぐそくかたびら斗にて其まゝせう田三太夫と二人參て、上樣の御馬の立處、又は御旗の立所を見て返り申つるが、各々は御らんぜ候かと云へば、其時右衞門げにと見る所成を、何のふんべつもなくして見ざると云ければ、彥左衞門左樣に見る所をさへ見給はで物をあらそひ給ふかと云。然る間各々有事をろんじて、後には彥左衞門を性の强き者と云。