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前田利長
本文表記 利長・中納言利長・加賀中納言利長・利勝・利長中納言・中納言菅原利長・羽柴肥前守・孫四郞・越中侍從・肥前守・加賀中納言・父の卿・加賀の利長
前田 第七上 · 36
- p001…中納言菅原利長は、大納言利家の男なり、利家の父前田藏人利昌、尾張の國海東郡荒子の城を領…
- p002…筑前守と名のらせ、子息も劣らぬ人なれば、同しく名字をまゐらせ、叙爵させ、羽柴肥前守になさる、今まで孫四郞、初は利勝といふ、是れ秀吉の家號賜ひし初なり…
- p002…ぬ人なれば、同しく名字をまゐらせ、叙爵させ、羽柴肥前守になさる、今まで孫四郞、初は利勝といふ、是れ秀吉の家號賜ひし初なり、菊桐の紋をも賜ふと…
- p002…しく名字をまゐらせ、叙爵させ、羽柴肥前守になさる、今まで孫四郞、初は利勝といふ、是れ秀吉の家號賜ひし初なり、菊桐の紋をも賜ふと云ふ同き十…
- p002…吉佐々を攻降し、越中國三郡を割て、利家これを領せんこと一兩年、其後は子息利勝に讓るべしとてたびてけり、利長を初め越中侍從といひしは、この故か、…
- p002…、利家これを領せんこと一兩年、其後は子息利勝に讓るべしとてたびてけり、利長を初め越中侍從といひしは、この故か、十四年嶋津を討れし時、子息肥前守…
- p002…を領せんこと一兩年、其後は子息利勝に讓るべしとてたびてけり、利長を初め越中侍從といひしは、この故か、十四年嶋津を討れし時、子息肥前守、關白殿に從て…
- p002…利長を初め越中侍從といひしは、この故か、十四年嶋津を討れし時、子息肥前守、關白殿に從て向ふ、十六年の春、右少將になされ、十八年の春、參議從四位下…
- p002…く賴み申て、閏三月三日、六十二歲にて薨ず、從一位を贈られしとぞ聞えける、中納言利長若きより軍に從ひ、志津岳石動末森等を始とし、筑紫關東の戰に至るまで、終に…
- p002…て、慶長二年の秋、參議從四位下、同三年の夏、從三位中納言に至る、世には利長の參議たりしのみを傳ふ、公卿補任を按するに、從三位中納言に至れり、太…
- p002…を按するに、從三位中納言に至れり、太閤薨し玉ひし時、秀賴の傳を仰置る利長をば御いたきもりと定らるといふ父利家薨じて後、加賀越中の地を領…
- p002…八十一万石を領す、能登國は舍弟侍從利政が領せしなり、此年八月廿八日、利長入部のために、加賀の國に赴く、かゝる所に、石田三成が謀にて利長謀反の由に…
- p002…月廿八日、利長入部のために、加賀の國に赴く、かゝる所に、石田三成が謀にて利長謀反の由にて討手向ふべしと聞ゆ、利長大に怒り、討手を待て戰はんとす、家人…
- p002…に赴く、かゝる所に、石田三成が謀にて利長謀反の由にて討手向ふべしと聞ゆ、利長大に怒り、討手を待て戰はんとす、家人等が計らひにて、老母を關東へ參らせ、…
- p002…を誓はれしかば、世の疑解けぬ、明る五年の秋、德川殿奧の會津を伐ち給ふ時、利長北國の大將として、既に打立たんとせし所に、上方又軍起りければ、利長同國大…
- p002…ふ時、利長北國の大將として、既に打立たんとせし所に、上方又軍起りければ、利長同國大聖寺の城を攻落し、小松の城に戰て、金澤の城に引返し、德川殿海道を攻…
- p002…に參らる、舍弟能登侍從利政が此度の軍に怠りしに依て、彼の所領沒收せられ、利長が勳功の賞として、能登國に加賀の能美江沼二郡そへて下し賜る、明れば六年五…
- p002…として、能登國に加賀の能美江沼二郡そへて下し賜る、明れば六年五月十一日、利長の養子犬千代丸元服し、德川殿より御家號賜りて、侍從兼筑前守になされ、同き…
- p002…筑前守になされ、同き九月中納言殿の姫君加賀國に下らせ給ふ、七年正月の末、利長關東に赴き、大納言家へ此時台德院殿大納言に轉し給ひしなり、參られ、…
- p003…利長關東へ參らるべき由、かねて申されしに、折ふし大御所、關東に渡らせ給ひたり…
- p003…べき由、かねて申されしに、折ふし大御所、關東に渡らせ給ひたり、大納言家、利長を迎へ給はんとて、板橋の驛の邊に御出ありて、見參の事を悅び仰せらる、利長…
- p003…利長を迎へ給はんとて、板橋の驛の邊に御出ありて、見參の事を悅び仰せらる、利長かねては、かくあるべしとも思はれず、悅び思ふ事淺からず、又後日城に上られ…
- p003…、悅び思ふ事淺からず、又後日城に上られしに、大納言家、寢殿に御出ありて、利長の座を遙かの下に設けらる、對面の義ども嚴重に、饗應の式また善盡せり、利長…
- p003…利長の座を遙かの下に設けらる、對面の義ども嚴重に、饗應の式また善盡せり、利長此時は悔しき事に思はれしとぞ聞えし、黃金百枚、白銀千枚、時服百領を獻ぜら…
- p003…に、大やうは違はず、又古き人に、うけたまはる、慶長のころの下文に大御所と利長と連署たりしを見きといふ、されば此度利長見參の事、上下の分定りぬべき時な…
- p003…はる、慶長のころの下文に大御所と利長と連署たりしを見きといふ、されば此度利長見參の事、上下の分定りぬべき時なれば、大御所の伏見へ上らせ給ひし事も、深…
- p004…利長また伏見に赴きて、大御所へ參り、やがて國に歸らる、同き十年三月、大納言家…
- p004…同き十年三月、大納言家御上洛あり、これ大將拜賀の御爲なり、同き四月の初、利長父子伏見に赴き、大御所へ參りて、色々の獻物あり、兩御所物を賜ふ事多し、利…
- p004…長父子伏見に赴き、大御所へ參りて、色々の獻物あり、兩御所物を賜ふ事多し、利長頓て歸國し、子息筑前守をば、こゝに留めらる、十一年四月、筑前守關東に下り…
- p004…留めらる、十一年四月、筑前守關東に下り、將軍家へ參らる、十九年五月廿日、利長越中國戶山城に薨す、年五十三歲、正二位大納言を贈らるとぞ聞えし、中納言利…
- p004…とぞ聞えし、中納言利常始は利光利家大納言の末子、生年九歲にして、兄利長の世嗣となり、大相國家の姫君に添ひ參らせ、禰々姫君と申し奉る第二の姫…
- p007…、利家の舍弟を前田右近秀繼といふ、此大和守利孝、其世嗣となりしなり、其後利長の母芳春院と申せしが、德川殿へ參られしに、大和守利孝極て母の愛せし子なれ…
- p007…大和守利孝極て母の愛せし子なれば、連れて關東に下らる、關が原の軍終て後、利長加賀能登加へ賜ひ、かの母の方へも一万石の地賜ひき、又土方河内守雄久にも、…
- p007…一万石の地賜ひき、又土方河内守雄久にも、上野七日市の地下し賜ふ、此土方は利長ゆかりの人にて、此度利長と共に、北陸を鎭めし賞なり此時に老母關東にあれば…
- p007…河内守雄久にも、上野七日市の地下し賜ふ、此土方は利長ゆかりの人にて、此度利長と共に、北陸を鎭めし賞なり此時に老母關東にあれば、其便よからんために、利…
- p007…長と共に、北陸を鎭めし賞なり此時に老母關東にあれば、其便よからんために、利長望みて、土方が領と、加賀の地と替へて七日市をば芳春院の領とす、大和守又芳…
細川 第七下 · 1
- p013…こそ、父に思ひかへたれと思はんも耻し、忠隆旣に貧賤の身となりたり、妻の兄加賀中納言が大名なるを、便にこそなど云はれんも、口をしとて、妻を出し、やがて入道し…
丹羽 第八下 · 28
- p003…賀守を兼ぬ、同き秋、大閣薨し給ひ、世の中何となく物騒しく、明る四年の冬、加賀中納言利長、在國し謀叛の企ありと聞えて、德川殿向はせ給ふと云ひ罵る、加賀守長重德川…
- p003…えて、德川殿向はせ給ふと云ひ罵る、加賀守長重德川殿に參りて風聞の如きは、利長御退治の事定て日近きにあらんか、さらんに於ては長重が領する處、彼境に近し…
- p003…處、彼境に近し先陣の事、他人に讓るべからずと望み申さる、此人の父、長秀と利長と同し信長の御娘を迎ひ、結ぼうれたる中なるが、公儀の爲に私の睦を顧みず、…
- p003…陣を望み申されし事、德川殿の御感斜ならず、御刀をぞ引かれける、吉光利長の謀、叛、形もなき虛言なりければ、軍勢の催促にも及はず、明る五年の秋、大…
- p003…なりければ、軍勢の催促にも及はず、明る五年の秋、大坂の奉行等軍起せし時、中納言利長、長重の許に使立て、利長此度內府の方人して、上方に攻め上らんとす、和君も…
- p003…ず、明る五年の秋、大坂の奉行等軍起せし時、中納言利長、長重の許に使立て、利長此度內府の方人して、上方に攻め上らんとす、和君も與みし給はんには、同く打…
- p003…又內府へも親しうも疎うもなし、東西の間いづれの方人すべしとも覺えず、但し利長の執し申し給はんに因て、此度の戰功につのりて、父が領せし國なれば、越前の…
- p003…國賜らんには、內府の爲に一方を討ち破つて參らすべきにて候と申されしかば、利長重て仰せ承りぬ、越前の國賜らせ給はん事は、內府の旨に在るべければ、利長か…
- p003…、利長重て仰せ承りぬ、越前の國賜らせ給はん事は、內府の旨に在るべければ、利長かねて定め申難きか、彼家の爲に戰功を致し給はんには、如何で御望は叶はざる…
- p003…て定め申難きか、彼家の爲に戰功を致し給はんには、如何で御望は叶はざるべき利長が微力を盡して、執し申さん事は勿論に候ものをやとありければ、長重大に悅ひ…
- p003…方に參るべしとて、軍の評定あらんが爲、兩家の家人等、松任に出て會ふ、先づ利長の方に人質を賜らん由を望む、長重が家人大に怒て、織田殿の御時より、丹羽は…
- p003…ん由を望む、長重が家人大に怒て、織田殿の御時より、丹羽は一方の大將にて、利長の父利家は、被官の樣まてこそありつれ、故大閣の時に至りて、當家かく衰ふる…
- p003…弟の國なるをや、今何の故に人質を出すべき、又亂れたる世の人の心、計り難し利長たとへ心變りしつとも、人質取られて後は、悔ゆとも及ぶべからずと慮て、其事…
- p003…て後は、悔ゆとも及ぶべからずと慮て、其事叶ふべからずとぞ云ひ切つたる、又利長の方よりは、去りし冬、當家謀叛のよし風聞の時、自餘の人は如何にもあれ、此…
- p003…參らせん事、叶ふべからずと云切て事既に破れぬ、斯てもあるべき事ならねば、利長多勢を引具して小松の城を押通りて大聖寺の城を攻落す、斯る處に、敵兵船に取…
- p003…攻落す、斯る處に、敵兵船に取り乘て能登の國をさして漕き向ふと聞えしかば、利長本國の事心元なしとて、爰より引返し、又小松の城に差懸る、長重は利長が我無…
- p003…かば、利長本國の事心元なしとて、爰より引返し、又小松の城に差懸る、長重は利長が我無勢なるを見侮て道を假るにも及ばず我が住む邊を一度ならず再ひまで蹴散…
- p003…住む邊を一度ならず再ひまで蹴散して通るこそ安からねと、城より外に打て出で利長が後陣を打破て、城に入る、利長後陣に軍ありと聞て鞭鐙を合せて馳せ歸る、軍…
- p003…して通るこそ安からねと、城より外に打て出で利長が後陣を打破て、城に入る、利長後陣に軍ありと聞て鞭鐙を合せて馳せ歸る、軍既に終て敵城中に打入る、此城究…
- p003…聞えしは詐にて、美濃國の戰ひ味方勝軍し、德川殿御父子馳せ上らせ給ふなり、利長も急き攻め上るべしとありければ、利長長重と中直りし、互に人質取替し夜を日…
- p003…し、德川殿御父子馳せ上らせ給ふなり、利長も急き攻め上るべしとありければ、利長長重と中直りし、互に人質取替し夜を日に繼て馳せ上るに、關が原の戰ひ事終り…
- p003…せらる、長重陳じ申して長重初めより東西の方、何れに與すべしとも覺えず、只利長が勸めしに因て、東國の御爲に戰功を顯さんと思ひ定む、然るに忽ち事の違亂出…
- p003…戰功を顯さんと思ひ定む、然るに忽ち事の違亂出て來て、我が城に引籠りぬ、又利長と戰ひし事、私の恨報ぜんが爲めにして、全く西に心を通はせし所にあらずと申…
- p003…く西に心を通はせし所にあらずと申けれど、內々は重き罪にも行るべしと聞ゆ、利長此由を聞て、初め海道上らせ給ふ時、重て御使を賜り、北陸の事いかにも平かな…
- p003…事いかにも平かならん樣に、こしらへて急き馳せ上るべしと承りぬ、さるに因て利長此由を長重に傳へて、中直りして馳せ上れり、それにて彼を罪せられんには、利…
- p003…長此由を長重に傳へて、中直りして馳せ上れり、それにて彼を罪せられんには、利長先度の戰に恐て、一旦彼をたばかつてこそ通りつれなど云はれんこと、弓矢取て…
- p003…らばやと歎き申さる、申さるゝ所も、理ありと聞召されしかど、既に加賀國をば利長の賞に行はれし上は、長重所領を失つて關東に參り、芝浦の邊に籠り居て、五郞…
- p004…長重罪を免されし事、利長中納言の歎き申されし故のみにもあらず、昔大相國家の未だ童形にて渡らせ給ひし時よ…
土方 第八下 · 4
- p002…、德川殿雄久を小山の御陣に召し、御使にさゝれて、加賀國に馳せ向ふ、此れは中納言利長、外戚につきて雄久と親しかりし故とぞ聞えける、外從兄弟と申すなり關…
- p002…かりし故とぞ聞えける、外從兄弟と申すなり關が原の合戰終りて後、雄久利長と共に大津の御陣に來りて見參に入る、雄久が御使の賞、行はるべしとぞ聞えけ…
- p003…初め加賀國にて一萬石を賜ふ、其地鷹狩の爲に便ありとて、利長土方に乞うて能登の地に替へらる、此後雄久又加恩蒙り、終に二萬二千石に至れ…
- p003…り、終に二萬二千石に至れりと云ふ、一說に、初め伊勢の地一萬石賜ひ、加賀の利長も一萬石の地與ひられき、是れ德川殿內々の仰ありし故なりとも云ふ、子息等が…
織田 第十下 · 1
- p003…上は如何がせましと案じ煩ふ內に、關が原の合戰事終りぬ、子息の宰相、加賀の中納言利長と共に大津の御陣に參られけれど、仕出したる事もなければ、唯何となく所領せ…
福嶋 第十二上 · 2
加藤 第十二上 · 1
- p006…たんとせしを、德川殿制し給ひしより、清正と德川殿との間心好からず、同じ秋加賀の利長國へ歸りし後、清正も肥後の國に歸る明れば五年の夏六月六日、景勝討たるべき…
最上 第十二上 · 2
稻葉 第十二下 · 1
- p003…葉が許を去て都に上り、亡父に親しかりしかば其所緣に就きて加賀の國に行き、利長中納言を賴み居けり、大御所駿河に移らせ給ふべしとて、國府の城築かれし時、牧村も…
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