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越中国
本文表記 越中・越中國・越中の國
前田 第七上 · 4
- p002…、かくて利家、加賀能登の境、末森と云ふ所に城廓を構ふ、佐々內藏助成政越中にあり、北畠殿の御方として、まづ末森を落さんとす、利家やがて後卷し、…
- p002…し初なり、菊桐の紋をも賜ふと云ふ同き十三年の秋、秀吉佐々を攻降し、越中國三郡を割て、利家これを領せんこと一兩年、其後は子息利勝に讓るべしとてたび…
- p002…石動末森等を始とし、筑紫關東の戰に至るまで、終に不覺を取らず、初め關白殿越中國三郡を賜ひ、羽柴の號ゆるされ、肥前守に任じ、侍從を經て、慶長二年の秋、參…
- p002…仰置る利長をば御いたきもりと定らるといふ父利家薨じて後、加賀越中の地を領し、八十一万石を領す、能登國は舍弟侍從利政が領せしなり、此…
上杉 第八下 · 11
- p005…明れば十五年、越後國悉く靡き隨ひぬ、さらば父爲景が吊ひ軍、あるべしとて、越中國に打入て加賀能登を隨へ、佐渡國へ押渡る、斯る所に、十六年の八月、信濃の國…
- p009…生年十四歲より、弓矢を取て三十六年、北陸東山東海の諸道に、威を震ひ、越後越中加賀能登佐渡飛驒上野半國餘下野半國餘陸奥二郡出羽五…
- p013…國々打取て領せよやとて、加賀國をば佐久間玄蕃允、能登をば前田又左衞門尉、越中をば佐々內藏助に、分ちたぶ、景勝打ふし柴田因幡守が背きて、越後國新發田の…
- p013…て、上野をば瀧川左近將監、信濃をば森武藏守に與ふ、諸方の敵、牒じ合せて、越中信濃上野より攻め入らんとす、景勝先づ越中に向ひ、魚津の城に押寄せたる織田…
- p013…守に與ふ、諸方の敵、牒じ合せて、越中信濃上野より攻め入らんとす、景勝先づ越中に向ひ、魚津の城に押寄せたる織田が軍勢、討ち破り、取て返して、信濃國に向…
- p013…じ重て又木村を使として長く兩家の好み結ふべき由の起請文、書きて送らる、又越中の佐々が、秀吉の旨に隨はず、秀吉これを討たんがため、頓て彼の國に向はんと…
- p013…てこそ返答には及ふべけれとて、使をば返されたり、明れば、十三年四月、秀吉越中の國に發向し、佐々戰負けて降參す、秀吉家譜に、越中を討れしは、此年七…
- p013…、十三年四月、秀吉越中の國に發向し、佐々戰負けて降參す、秀吉家譜に、越中を討れしは、此年七月、秀吉關白に任せられし後とす、誤れるか九月十…
- p013…父刑部左衞門尉が、籠つたる新潟の城を、攻めんとて、蒲原郡に向ひしが、秀吉越中に攻め入ると聞て、羽柴が起請文書て、我と好を結ばんと云ふとも、亂れたる世…
- p013…結ばんと云ふとも、亂れたる世の人心、計り難しとて、其勢八千六百にて、越後越中の境なる糸魚川の城に陣したり、落水の城よりは、無碍に程近ければ、須賀飛脚…
- p013…と二時餘り、酉の刻の初めに、秀吉落水を立て、夜をこめて、戶山の城に歸り、越中の國務、沙汰あつて上洛し、今年七月、關白に任し給ひけり、此月、信濃の國の…
丹羽 第八下 · 2
溝口 第九上 · 1
- p004…ひて、溝口元の主人なれば、丹羽に属す、天正十三年の夏、長秀卒す、今年秀吉越中の佐々討たんとて、長秀の男長重が勢を假て、佐々を亡し、終に長重が所領を奪…
蒲生 第十二上 · 1
- p003…郡の住人なり等を氏鄕の手に附けらる、同國木造小山戶の軍を始めて、紀伊越中筑紫の陣に至るまで、悉く戰功を顯し天正十六年四月十八日左近衞權少將正四位…
松倉 第十二下 · 1
- p001…豐後守藤原重政は彌七郞秀政が嫡子也、松倉が先祖は越中の國の住人にて、嘉吉年中大和國に來て、添上郡橋田といふ所にあり、其後筒井が家…
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