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松平康親
본문 표기 康親・忠次・松平周防守康親・松井左近忠次・松平周防守・周防守康親・松平左近將監・松平左近將監貞泰・貞泰
酒井 第四上 · 2
本多 第四上 · 1
- p003…や攻入らんと、重次沼津の城を守る、一說に、重次は江尻にあり、沼津をば松平周防守康親守れりといふ、不審案の如く、九月廿五日、北條の軍勢、韮山の城より打て出…
井伊 第四上 · 5
- p004…向ひ、蓮池より押寄て、陣を取る、六月廿二日の夜、直政一勢、外郭を攻破る、松平周防守康親同しく續く、城中にも山角上野介父子三人、次の城を陷されじと、散々に防き戰…
- p004…介父子三人、次の城を陷されじと、散々に防き戰ふ、つゞく御方なければ、直政康親引返す、…
- p013…直政の室は松平周防守康親が娘なり、それに隨來りし女の直孝をば生めるなり、初め直政の室、彼の女の娠…
- p013…女の娠む事あるを知て、其父が許に送れり、其父をば印具德右衞門某といひて、康親が家の侍なり、此年天正十八年の秋、德川殿關東に移らせ玉ひ、直政上野國箕輪…
- p013…、此年天正十八年の秋、德川殿關東に移らせ玉ひ、直政上野國箕輪の城を給ひ、康親の子康重武藏國私市の地を給りて、印具關東に移るとて駿河の國藤枝の宿に至る…
牧野 第四下 · 1
- p003…害を攻落す、今年遠江國諏訪原の城落つ、牧野の城と名を替て、康成に賜ふ、松平周防守と守れり、家忠日記增補を按するに、康成に賜りしは記さねども、既に牧野の…
松平(松井) 第四下 · 36
- p001…周防守源康重は、故周防守康親の子なり、康親元は松井左近忠次と名乘る、三河國東條の家人幡豆郡の住人松井…
- p001…周防守源康重は、故周防守康親の子なり、康親元は松井左近忠次と名乘る、三河國東條の家人幡豆郡の住人松井金四郞某が男弘…
- p001…周防守源康重は、故周防守康親の子なり、康親元は松井左近忠次と名乘る、三河國東條の家人幡豆郡の住人松井金四郞某が男弘治二年の春、右京…
- p001…、失せ玉ひ、子息龜千代丸、後に甚太郞家忠と申す幼くおはせしかば、忠次其家の事を執り行ふ、永祿四年、德川殿、水野殿と、德川殿の御外舅下野守…
- p001…石川伯耆守本多肥後守植村庄右衞門等と先を爭ひて戰ひ、忠次鑓を合す此年又仰を承り、津の平を守りて、東條の城を攻む、吉良義昭怺へ…
- p001…條の城を攻む、吉良義昭怺へかねて降人となつて出づ、其勳賞に、津の平の地、忠次に賜はる、同き五年の春の比、德川殿、今川と御中快らず、初めより駿河の國府…
- p001…し若君、三郞殿の御事失はれ給ふべしと聞ゆ、今年三月久松佐渡守俊勝、松井左近忠次を大將として、今川隨一の家人鵜殿長助が、名は孝景としるせるあり又…
- p001…景としるせるあり又長昭ともあり籠たる三河國西鄕の城を攻めらる、忠次人をして要害よく見おほせて、忽に襲ひ攻めし程に鵜殿たまりかねて、城をば德…
- p001…、城をば德川殿に參らせ、其身は駿河に歸らんと望む、さらばとて免されたり、忠次、兵を道に伏せて、鵜殿が二人の子を生捕る、氏眞深く歎き玉ひ、三郞殿を返し…
- p001…を生捕る、氏眞深く歎き玉ひ、三郞殿を返し參らせて、鵜殿が子を乞ひ返さる、忠次ゆゝしく謀りけりと、御感斜ならず、同じき六年、吉良義昭、再ひ叛く、忠次、…
- p001…、忠次ゆゝしく謀りけりと、御感斜ならず、同じき六年、吉良義昭、再ひ叛く、忠次、龜千代丸の代官として、幡豆郡に要害を搆へ、東條の城を攻め落す、忠次に、…
- p001…く、忠次、龜千代丸の代官として、幡豆郡に要害を搆へ、東條の城を攻め落す、忠次に、東條の城を加へ玉ふ、同じき十二年正月、今川氏眞、遠江の國掛川の城にこ…
- p001…らる、同き廿二日の夜に入つて、かたき天王山の御陣を襲ふべしと聞えければ、忠次大久保大須賀等の人々と出て向つて戰ひ、夜既に明けぬれども、勝負いまだ決せ…
- p001…保大須賀等の人々と出て向つて戰ひ、夜既に明けぬれども、勝負いまだ決せず、忠次が郞等岡田竹右衞門石川新兵衞石田與一などいふ一人當千の…
- p001…いふ一人當千の兵ども戰つて、終に敵を打破る、元龜元年六月、姉川の合戰に、忠次弓手の腕を、鞍の前輪に射付られ、從者して矢ぬかせ、其矢を以て、其敵を射殺…
- p001…んとは思ふと仰らる、誠に大事の處なれば、望み申す人、更になし、良あつて、忠次進み出て、身不肖には候へども、御免しを蒙りたらんには、忠次此所に留り守り…
- p001…し、良あつて、忠次進み出て、身不肖には候へども、御免しを蒙りたらんには、忠次此所に留り守り候はゞやと申、德川殿大に悅ひ玉ひ、御姓字を許し給はり、松平…
- p001…忠次此所に留り守り候はゞやと申、德川殿大に悅ひ玉ひ、御姓字を許し給はり、松平周防守康親とめされ、當國樽木河尻七百貫の地加へ玉ひ、諏訪の原を改て、牧野の城と名つ…
- p001…貫の地加へ玉ひ、諏訪の原を改て、牧野の城と名つけ、牧野右馬允康成に仰て、康親と同しく留められ、また譜代の御家人二人つゝ、康成康親にそへられたり天正…
- p001…野右馬允康成に仰て、康親と同しく留められ、また譜代の御家人二人つゝ、康成康親にそへられたり天正三年八月より同き十年三月まてこゝを守り武田つひに亡…
- p002…一說に、康親に松平を許し玉ひしは、永祿六年東條の地を賜ひし時の事なりといふ、さも有る…
- p002…の地を賜ひし時の事なりといふ、さも有るべしや、天正三年より、さきの世に、松平左近將監と記されしものあり、又天正の初、上杉謙信へ、松平左近將監貞泰といふ人を、…本文 추정(貞泰=康親)
- p002…り、さきの世に、松平左近將監と記されしものあり、又天正の初、上杉謙信へ、松平左近將監貞泰といふ人を、御使に遣はされし事、慥に所見あり、其時二人の松平左近將監ある…본문 추정(貞泰=康親 初名)
- p002…松平左近將監貞泰といふ人を、御使に遣はされし事、慥に所見あり、其時二人の松平左近將監あるべからず、されば貞泰といふは、康親の初の名たるべし、然らば牧野の城の…
- p002…に遣はされし事、慥に所見あり、其時二人の松平左近將監あるべからず、されば貞泰といふは、康親の初の名たるべし、然らば牧野の城の時には、御諱字を賜はりた…
- p002…、慥に所見あり、其時二人の松平左近將監あるべからず、されば貞泰といふは、康親の初の名たるべし、然らば牧野の城の時には、御諱字を賜はりたる事と覺ゆるな…
- p003…の城に籠ると聞えて、又小山をも攻めらる、酒井左衞門尉忠次、止め申せしかど康親ひとり仰に隨て、石川伯耆守數正と共に二人、先陣を給て押寄せぬ、武田四郞、…
- p003…勢をば返へされたり、四年三月十七日、松平甚太郞家忠、代龜千代丸井に周防守康親、駿河國山東の地を賜ひ半をば今川氏眞に參らせられ、康親して、今川家の事を…
- p003…代丸井に周防守康親、駿河國山東の地を賜ひ半をば今川氏眞に參らせられ、康親して、今川家の事をぞ執せらる、…
- p005…しとて、掛川の城に打出て玉ふ、四郞駿河に向ひしかば、德川殿歸らせ玉ひて、康親後陣を承る、八年望宗の城邊にて、御方の後陣、朝比奈駿河守が勢と戰ふに、康…
- p005…親後陣を承る、八年望宗の城邊にて、御方の後陣、朝比奈駿河守が勢と戰ふに、康親取て返し戰ひ、三浦兵部少輔を討取、康親が郞等岡田竹右衞門が討しなり、…
- p005…後陣、朝比奈駿河守が勢と戰ふに、康親取て返し戰ひ、三浦兵部少輔を討取、康親が郞等岡田竹右衞門が討しなり、同十年の秋、德川殿甲斐國に發向あり、北…
- p005…、北條が軍勢襲ひ來る事あるべしとて、伊豆駿河の境なる三枚橋の城を築きて、康親して守らせられ、小笠原安藝守信元、同丹後守安次をも、同く爰に籠められたり…
- p005…、安藝守信元が家子郞等多く討る、敵又韮山の城より出て三枚橋を攻めんとす、康親爰に在りと見て、終に近づく事を得ず、明れば十一年二月十二日駿河國河東の地…
- p005…事を得ず、明れば十一年二月十二日駿河國河東の地給て、一郡の政勢を執る、康親に給ふ所二万千百貫の地、此年六月十七日康親六十三歲にて卒す、其子康重…
- p005…給て、一郡の政勢を執る、康親に給ふ所二万千百貫の地、此年六月十七日康親六十三歲にて卒す、其子康重生年十六歲にて、父に繼き、三枚橋の城を守る、十…
酒井 第五 · 1
- p001…川殿を恨むこと起りて戰やむ事なし、竹千代殿恙なく歸り玉ひし事は、松平周防守康親が傳、又附錄の石川伯耆守數正が傳に詳なり、去程に氏眞は、舅の武田入道…
土屋 第六 · 1
- p004…くして夫に後れて、寄からん方なかりければ、昌恒が手の者共、とかく計ひて、松平周防守が家老岡田竹右衞門元次に嫁せしめしかば、男子をまうく、岡田内記といふ、忠…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히