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○筧平三郞功名の事

卷之一 第7話 · 段落 2 · NDL 1078984 28コマ R

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織田備後守信秀、松平三左衞門忠倫と密に謀りて、岡崎の城を攻め奪らんとす。岡崎に泄聞えしかば、應政公甚憤らせたまひて、筧平三郞重忠を召し、上和田に往きて僞りて降參し、三左衞門を刺殺し來れ。偏に汝を賴むよ、と仰ありしかば、筧承り候、とて上和田に至り、降參するよし謀りければ、三左衞門、岡崎の士心を通ずる者あれども、筧兄弟を味方にせばや、といふ折からなれば、大に悅びて懇に遇しにけり。斯くて夜深て後、案内をよく見届けつ、忍び寄りて賜りたる脇差にて三左衞門が脇腹を二刀刺て遁れ出る。平三郞が弟助大夫正重も兄が後を慕ひて上和田に至り、隍の中に隱れ居たりしが、待受けて打連て岡崎に歸る。上和田の者ども追ひ掛くれ共及ばず。應政公感狀を賜はり、羽栗にて百貫賜りぬ。天文十六年十月の事なり。應政公は東照宮の御父なり。
一說、脇差を賜はりける時、これを以て刺殺すべし。突貫きたる刄を拔かば必聲を立べし。然らば起き合せ、追ひ掛けて汝遁れ得じ。突棄て遄歸れ、と仰せられしか共、賜はりたる脇差を捨てんこと本意に非ずと思ひ、拔いて出ければ、果して三左衞門聲をあげ、人を呼びける故、各起き合せて追駈くれども、とく逃れ得て歸るといへり。又一說に、平三郞は忠倫が平安城長吉の刀を奪り得て歸り、忠倫を刺殺せし證と申せしかば、卽其刀を平三郞に賜はりけるともいへり。