織田備後守信秀、松平三左衞門忠倫と密に謀りて、岡崎の城を攻め奪らんとす。岡崎に泄聞えしかば、應政公甚憤らせたまひて、筧平三郞重忠を召し、上和田に往きて僞りて降參し、三左衞門を刺殺し來れ。偏に汝を賴むよ、と仰ありしかば、筧承り候、とて上和田に至り、降參するよし謀りければ、三左衞門、岡崎の士心を通ずる者あれども、筧兄弟を味方にせばや、といふ折からなれば、大に悅びて懇に遇しにけり。斯くて夜深て後、案内をよく見届けつ、忍び寄りて賜りたる脇差にて三左衞門が脇腹を二刀刺て遁れ出る。平三郞が弟助大夫正重も兄が後を慕ひて上和田に至り、隍の中に隱れ居たりしが、待受けて打連て岡崎に歸る。上和田の者ども追ひ掛くれ共及ばず。應政公感狀を賜はり、羽栗にて百貫賜りぬ。天文十六年十月の事なり。應政公は東照宮の御父なり。