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○東照宮大高城を引取り給ふ事

卷之二 第5話 · 段落 1 · NDL 1078984 42コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

義元討死の時、東照宮は大高の城に御座せしかば、苅屋の水野下野守信元、淺井六之助道忠をもて、桶狹間に義元敗軍命を落され候ひぬ。今川家の城々共皆開け退き候。疾く岡崎へ歸らせられ然るべからん、と告申されしかば、早や御歸あれ、と人々申しけるを聞召し、下野守は我が母の兄弟なるは、誰も知りたるよ。然れども今は敵と別れたる中なれば、若しや我れを欺からんとの謀なるを知らで、此の城を明退きなば、逃走りたりと言はれん事、弓箭取る身の恥辱、後世までも嗤ひ草たるべし。淺井を押留め置きて、味方の告を待ちて後こそ參河へは歸らめ、と仰ありて、其までは二の丸に御座せしが、本丸に入らせ給ひて、持口を御配り有りける處に、夜に入りて岡崎より鳥井伊賀守忠吉、義元の變を告げ奉り、今川家の人々も駿州へ引取る旨を聞し召し、此の上は兵を返すべし。なれども夜闇くて亂るべし、とて月の出づるを待ちて城を打出でさせ給ひ、淺井を嚮導に用ゐられ、池鯉鮒の驛に著かせ給へば、苅屋よりも討つて出で、所々一揆起りけるに、淺井馬を乘寄せ、水野下野守使者淺井六之助案內者たる由大音に呼りければ、皆道を開きて恙なく夜中に大樹寺まで引取らせたまひぬ。後殿は大久保五郞右衞門忠俊なり。翌日岡崎に歸入らせたまひけり。淺井をば池鯉鮒より返させ給ひ、後の證にとて御扇子を裂きて賜はりける。扇の骨六本なりし故、永く淺井が家の紋とするとかや。是より東照宮の信義厚き御事に人々懷き從ひ奉りける。