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○三井角右衞門生瀨平右衞門功名穿鑿の事

卷之三 第26話 · 段落 1 · NDL 1078984 73コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

姉川の戰に坂井右近が子久藏十六歲にて討死す。久藏は十二の時信長始て京に入りし比、近江北郡にて鎗を合せたる剛の者なり。三井角右衞門、生瀨平右衞門二人共久藏が首を得たりと言ふ。二人後關白秀次に仕へければ此事沙汰ありて、三井が僞なりとて、鷹部屋に押籠め置きて罪に行れんとす。三井、命を惜むに非ず、人の功名を盜みたる惡名の子孫の恥とならん事口惜ければ、今一度詮議して賜り候へ。證據に淺見藤右衞門に問はれなば、實否正しかる可し、と訟たり。淺見を安土より呼れけり。淺見は生瀨と久しき友なり。三井とは日比中好からず、不通なれば、疑も無く三井が僞に定るべし。三井惑亂して淺見を證人にしたり、と誹り笑ふ人多し。偖て聚樂の廣間に奉行列坐して、雀部淡路守をもて尋ね問る。淺見承り、生瀨は年比の知音なり。三井とは不通にて候。是非世の人の評せん事も迷惑なり。他人に仰せ附けられよ、と懇に辭し申す。中好からぬ三井が虛妄を言ふに、心快からぬは理なれ共、證人に引きたる上は疾く申せ、と勸めらるれ共猶辭し申す。秀次聞きて、重ねて辭す可からず、とありければ、其時淺見、今は已事を得ず候。武義の論少も詐僞候まじ。坂井が首は三井が取りたるに紛なく、又其働も比類少く候。生瀨は何と存過ちたるにや、と言ひければ、一坐駭きて兎角言ふ人無く、之によりて三井を赦して賞せらる。生瀨は秀次に寵せらるゝの故に罪に及ばず。右近は信長の大將なり、三井、生瀨は朝倉、淺井兩家の士なり。淺見は後京極高次に仕へて、大津の城にて武名を顯しけり。