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○渡邊守綱を鎗半藏といふ事

卷之四 第7話 · 段落 2 · NDL 1078984 82コマ R

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東照宮と武田の兵と大天龍にての戰に、近藤傳次郞手負ひて渡邊半藏守綱を見かけ、手負ひたるぞ連れて退けよ、と言ふ。心得たり、とて手に提げたる首を投棄てて、傳次郞を肩に掛け、三里餘引き退きて救けければ、東照宮聞し召し、味方一騎討たるれば敵千騎の强みと言ふ事あり。味方を救けたるは七度の鎗を合せたるよりも勝れり。今より後鎗半藏と言ふ可し、と仰あり。後に半藏人に語りて曰く、傳次郞を余なればこそ救けたれ。何として退け遂すべき。斯る時は大方救くる體に遇し、刺し殺して棄てらるべし。味方なればとて賴みにはならぬ者よ、と言ひしなり。
又一說、永祿五年九月參河の八幡にて、今川氏眞と三河の軍戰有りて利非ず、二手に分れて引き退く。敵急に追駈くる。半藏守綱、石川新九郞返し合せ三度鎗を合す。後には半藏一人十度に及びて小返しして又三度鎗を合す。矢田作十郞足を痛み引き兼ねたるを、半藏肩に引き掛けて退きけり。之より鎗半藏と人に言はれしと言へり。半藏、弟を半十郞政綱と言ふ。後新五左衞門と言ふ。三方ヶ原の軍に草鞋の緒の解けたるを下に居て結びけるを、半藏急げ共心靜に結びて引き取れり。兄の半藏聞ゆる剛の者なるが、半十郞が如き志太き者は遂に見ず、と常に語りけるとぞ。