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○信忠慧林寺を燒かるゝ事

卷之五 第6話 · 段落 2 · NDL 1078984 102コマ R

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勝賴亡びて後、武田家尊崇しける慧林寺に、前將軍義昭公の使大和淡路守、三井寺の上福院、佐々木承禎三人を匿し置きたる聞え有りければ、早く出すべき、と信忠下知せらるゝ事三度に及べども出さず。信忠怒つて、累世の旦越勝賴をば少の間も境內に留めず、其の遺骨をだに取り斂めずして詮なき者を匿したる、とて津田次郞信治、長谷川與次郞等をして寺を取り卷いて探さるゝに、三人は疾く逃げ去りぬ。僧徒皆山門の樓に上りて籠りたるを、其の下に燒草を積みて火を掛けたれば、快川を始めとして、坐して合掌して焚死す。其の餘喚き叫んで燒死にけるは、寶泉寺の雪峯、東光寺の藍田、長禪寺の高山等兒童に至りて八十四人なり。
又禪僧の語り傳へしには、快川濃州に在りし時、信長招待すれ共肯はず。今川の家に行きて今川家を輔佐したりければ、信長憎まれしに、甲州に往きて慧林寺の住持たり。信玄の死を深く祕しければ、信長愈怒りて、種々に探り聞かせられしに、快川の方より泄さざれば、信長怒りに堪へ兼ねられしが、武田の亡びし故遂に焚殺されしとなり。又其の時樓下に鎗先を揃へて剩さじと爲たりしに、快川弟子の南華に、法の絕えなん事口惜。とても逃る可きにあらね共、樓より飛びて死候へ、と云ひしかば、南華飛びたりしに、群りたる士卒の鎗ぶすまを作りたる者共鎗を伏せたりしかば、南華助かる事を得て、後豐後月溪寺に在りと言へり。續いて飛びたる者十六人有りと雖も、其の名傳はらずとかや。