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○東照宮依田信蕃を助け給ふ事

卷之五 第7話 · 段落 1 · NDL 1078984 103コマ R

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天正十年三月、東照宮江尻に御軍を出され、成瀨吉右衞門正一を以て田中城を守りける。依田右衞門佐信蕃に降參を勸められ、武田の舊臣悉く背きて滅亡近きに有り。疾く城を出で候へ、と仰せ送られけるに、依田從ひ奉らず。武田の長臣其の書簡を得て、虛實を定むべき旨を申す。其後先年遠州二股の城にて緣も候へば、大久保忠世に城を渡すべし、と申せしかば、東照宮尤なりとて、穴山梅雪が書簡を送らせらる。信蕃爰に於いて城を忠世に渡しければ、降參せば信州の本領を當て行はるべき由仰せ出されしに、依田承り、勝賴の存亡を審に承らざる間は、仰を承り難し、と申して、信州佐久郡葦田に赴かれけり。勝賴旣に亡びて、信長、今度勝賴に二心無き輩と言ふとも、武名有る者は諸將召抱ふべからず、と下知し、猶隱れ居る者を搜し出して死罪に行はんとなり。東照宮此の事を悼ませ給ひ、信蕃を市川の御陣に召され、密旨を蒙り、主從六人遠州飼東郡二股の奧小川といふ所に隱させ給ひけり。其の餘仁德に依りて人數多救けさせ給ひけり。