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○戶田半右衞門山口小辨佐々淸藏功名の事

卷之五 第9話 · 段落 1 · NDL 1078984 103コマ L

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高遠の城にて戶田半右衞門重政一番に駈け入りし時、赤袍に金の戾竹の出し戶張隱のす戶、衝木に當つて通り得ず。尻居に倒るゝ其の間に、信忠の小姓山口小辨、佐々木淸藏1踏み越えて駈け入りたり。戶田後に人に語りて、我等が如き武功にては、袍指物の門木戶に閊ゆべきと心附く事は無き物なり。敵を見て斯る時、外の志は無きものなり。若し勝れたる武勇の人は別の事よ、と言ひけり。半右衞門後武藏守と稱し、關ヶ原にて討死せり。信長後に感狀を與へらるゝ時、先小辨に手づから國久の刀を與へ、次に佐々に長光の脇指を與へ、汝が武功は誠に大功の內藏助が從子なれば、と詞を掛けらる。二條にて明智信忠を攻むる時、淸藏、小辨に向ひ、素肌にて死なんは、屍の上のはぢなるべし、とて打つて出で、一人づつ敵を斬り伏せ、其の屍を引き入れて物の具取りて打著、又切つて出で討死せしとなり。共に十六歲、容貌世に超えて美しかりけるが、面に血を濺ぎ髮の亂れしを、見る人殊に惜み合へり。小辨は伏見の賤き者の子なれ共、美少年にて呼び出されけり。
  1. 誤植 — 底本「佐々木淸藏」。「佐々淸藏」の誤植か(標題は「佐々淸藏」、後の列は「佐々」)。