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○明智秀俊湖水を渡して坂本城に入る事

卷之五 第22話 · 段落 1 · NDL 1078984 109コマ R

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光秀信長を弑して安土の城を攻め落し、左馬助秀俊に守らせて山崎に打向ひ、秀吉と戰ひて敗北せり。秀俊安土を出て、光秀を救はんと京を指して進む處に、早や光秀討れたりと聞えしかば、坂本の城に入らんと、粟津を北へ大津を指して行く所に、秀吉の先陣堀久太郞秀政に行き會ひけり。秀俊小勢なれば打ち破られぬ。本道は敵に塞がれつ、湖水に馬を打入れ游がせければ、秀吉の軍兵共汀に並居て、溺れん有樣を見よ、と笑合へり。秀俊は白練に雲龍を狩野永德に描せたる羽織を著、二の谷と言ふ冑を著、大鹿毛と名附けたる馬に乘り、年久しく坂本に有りて、大津より唐崎までの遠淺は能く知りたり。手易く唐崎濱に乘り上げ、一つ松の下にて馬には息あひの藥を飼ひ、追ひくる敵を見て居たりしが、又馬に乘り坂本に入る時、十王堂の前にて馬より下り、手綱をもて堂に繋ぎ、矢立の硯取り出し、明智左馬助湖水を渡せし馬なり、と札に書きて手取鬣に結附け、坂本の城に入り、光秀の妻子は天守に入れ、安土より光秀が奪ひ取り來れる不動國行二字國俊の刀、藥研藤四郞の小脇差、楢柴の肩衝、乙御前の釜など言へる名物の器を唐織の肩衣に包み、天守より投げ落し、其の後女童を刺し殺し、火を懸けて自害せり。二の谷の冑に羽織と黃金百兩添へて、坂本の西敎寺に送りけり。後に山中山城守長俊が孫作右衞門友俊、冑を望み乞ひて得たりしが、程經て紀伊の士宇佐美造酒助孝定が許に傳はりぬ。羽織は行方を知らず。馬は無雙の駿足にて、秀吉濺嶽1の軍に此馬に乘られしなり。
  1. 誤植 — 底本「濺」。振り仮名「しづ」から「賤」の誤植か(賤ヶ嶽)。この判には「濺」の活字が一貫して用いられている。