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○初鹿傳右衞門の事

卷之六 第18話 · 段落 1 · NDL 1078984 126コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

勝賴亡びて後、武田家の士多く東照宮に仕へ奉る。前に領したる祿知を書きて奉れと仰せ出されけるに、初鹿傳右衞門は加藤駿河守が二男にて、兄の源五郞は川中島にて討死しけり。傳右衞門其祿を受繼ぎたりし故、祿地を書きて出しけるが、駿河守が二百五十貫の地をも合せて書記せり。駿河守が嫡子丹波、三男を彌平次と云ふ。兄弟共に、傳右衞門は源五郞が祿をこそ申すべけれ。駿河守が祿を合する事の有るべきや、と言ふ事聞えて本領四百貫のみ下し賜りぬ。傳右衞門、人は皆親兄弟の祿地を記し出して其儘賜りたるに、吾獨不㆑然、とて御朱印に墨を塗り、諂はざる故に斯る有樣なり、と言ふを、岩間大藏左衞門訴へ申して、無禮なり、と仰せ有りて祿を召し放さる。翌年長久手にて傳右衞門密に御旗本に來り、眞先駈け三宅彌次兵衞と爭ひて首を取る。傳右衞門は內藤四郞左衞門が傍に參て、申し給はらんや、と云ふを、其間十間許にて御覽ぜられ、傳右衞門連來れ、と仰せられしかば、御前に跪く。如何に汝が無禮なれども今日軍の先駈したれば許すぞ、と御詞に傳右衞門淚を流しける時、三宅、先に臣を一番高名と御詞をかけさせ給へど、傳右衞門は猶進みて首を取り候、と申しければ、三宅が實なる志を感じさせ給ひけり。