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○武藏國八王寺城落つる事

卷之九 第9話 · 段落 1 · NDL 1078984 164コマ L

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武州八王寺の城主北條陸奧守氏昭は、小田原に有りて家臣留守したりしに、前田利家、上杉景勝攻めんとて、先に降參しける北條氏邦に使を城に遣らせ、小田原旣に破れぬ。疾城を渡し候へ、と言ひ送る。中山、近藤、狩野等從はず。氏昭降參せば證書を賜はりて城を出づべき旨下知すべし。然らずして降參せば士の瑕瑾なり。氏邦が如き臆病者は一人も城中に候はず、と答へけり。利家景勝も其義に感ずと雖も、扨止むべからざれば、一萬五千の兵をもて圍まれけり。甘糟淸長攻入つて火を掛くる。狩野一庵、近藤出羽助實、金子三郞右衞門家重死狂ひに切つて出で討死す。橫地監物は氏昭の第一の長臣なり。火燃え上れば今日を限りに散々に戰ひけるに、寄手討るゝ者多し。中山勘解由家範は武勇の將、殊に八條修理滿朝が馭法を傳へ、關東無雙と世に稱せらるゝ人なり。大敵に少しもひるまず、二百許にて突いて出で、爰を最期と切つて廻るに、寄手新手を入替へ攻めければ、僅十五六人に討爲されけり。利家、誰か中山緣有る、と問はるゝに、松山の降人根岸主計定直が妻は中山が妻と兄弟なり。小岩井雅樂助は中山が馭法の弟子なる由を申す。利家、疾く中山に味方に屬せよと言ふべし、とて兩人を城中へ入れられしに、中山旣に自害して其妻も自害したるが、未だ息かゝりて有りければ、詞を交して馳歸り、斯と言へば利家大に惜まれけり。監物は切り脫けて逃げ出でけり。北條家關東の城々多しと雖も、豆州韮山の城の外は多く降參しけるに、八王寺の兵城を枕に戰死せし事を東照宮聞し召し、其義を感じ思召され、中山が嫡子助六郞昭守二男左介信吉に祿賜はり、昭守が子信守大坂の軍に功有り。信吉は後水戶中納言に仕へて備前守と稱す。狩野一廣が子主膳も仕へ奉りけり。