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○秤御定の事附壹步金辨當挾箱始の事

卷之九 第24話 · 段落 2 · NDL 1078984 169コマ L

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京に後藤德乘といふ彫刻師在り。東照宮關東御打入の後德乘が弟子を召しけるに、遠國を嫌ひしに、後藤庄三郞、我行かん、とて關東に至り、寵せられしかば、後天下を知し召さば願の一つ叶へ給へ、と申す。何事ぞ易き事よ、と仰有り。然らば黃金を四つに切りて通川1せばや、と望みけり。果して海內東照宮に歸しければ、庄三郞が志の如く仰せ出されけるより、今の壹步金といふは始まれり。但し甲州には信玄の時碁石金といふ物あり。然れば夫より前には碁石金の外には無かりしにや、壹步金は碁石金に傚ひたるにやあるべき。又信長の時今の辨當といふものは安土より始まれり。其始は小芋程の中に、如何で色々の物入れられんとて人信ぜざりきと言へり。挾箱も同じ頃造り始めたりといふ。又大坂の津田長門守始めて造り出すとも言へり。
  1. 誤植 — 底本「川」。振り仮名「つうよう」から「用」の誤植か(「用」の横画欠け)。