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○淸正の武備嚴重なりし事

卷之十 第21話 · 段落 1 · NDL 1078984 187コマ R

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朝鮮にて淸正全州に在る時、釜山海より十里餘の程、日本の軍兵城々を守りて、七八里或は十里許にて件の城1を設けたり。淸正を太閤呼れしかば、日本に歸るとて打立たれけり。戶田民部少輔高政密隅に有りて淸正と舊友なれば、饗すべき用意して待たれしが、士大將眞鍋五郞左衞門、神谷平右衞門を途中まで迎とす。四里許出づれば淸正の先陣見ゆ。其頃は四方に敵無く無事なり。二人とも革羽織袴にて出でたるに、淸正の軍兵皆物具して簞食附け旗を張り立て、磨筒の鐵炮五百挺眞先に押て、鐵炮には火繩を挾み火を附けたり。淸正は溜塗の物具銀の長烏帽子の冑の緒をしめ、頰當脚當して草鞋をはき、銀の九本馬藺の馬印を自ら背に指し、月毛の馬に白泡嚙ませて來れり。二人馬より下て迎へけるを、淸正見て、民部よりの迎の使者骨折なり。早くそれへ著陣せん。殊外に人々垢附きぬ、風呂をたて下々まで湯を賜はりなば大慶ならん。此由疾く歸りて申されよ、と詞を懸らる。二人、承り候、とて馬に乘り、急ぎ歸りて斯くといふ。程無く淸正著陣せられ、屏重門より入る。椽にて民部近習の士二人寄りて、淸正の指されし馬藺を取つて旗籬に立つる。淸正椽に上らんと草鞋の紐を解き脚當の緒を解く時、淸正腰に附けたる緋曇子の袋を座敷へ投入れたるに、どうと落つる。米三升許に味噌銀錢三百文入れられたり。馬印を指すに腰の釣合是にて能し、となり。民部驚きて、十里近きに敵も無くて如何なる事ぞ、と言へば、淸正、ものは大事と心得たるぞよき。油斷大敵といふ事有り。我物具せず身を安じ度くは思へども、左有らんには皆懈るべし。夫故に身は苦しけれども懈無き爲に斯くはせしなり。萬一の事有らん時懈りて事を仕誤るならば、今迄の武名虛名にならん事を慮ればなり。凡上を學ぶ下とて、大將寬げば下は大に怠るものなれば、常々陣法を嚴にする事に候。上一人の心下萬民に通ずるとかいふ事の有るよ、と答へられけるとぞ。
  1. 誤植 — 底本「件」。振り仮名「とも」から「伴」の誤植か(同じ紙型の別刷でも「件」)。