e325.p01校訂済227L:12–13228R:1–3別瀧川內記辰政は左近將監一益が末子なり。秀詮に仕へて、松尾山にて秀詮の軍敗北の時、勇み懸る敵を支へて從者に首五つ取らせ、秀詮の許へ持たせ遣り、其所を去らで吉隆が兵に鎗を合せ、岸より下に敵を突落したれば、山田喜內其首を取る。敵猶競ひ懸りけるを、笹地兵庫と倶に散散に戰ひて首を取りたり。後池田の家に仕へて祿三千石、士大將たり。此軍の時二十四五許の年にや。
e325.p02校訂済228R:4–7別辰政其始織田上野介信包に仕へて、十六歲の時小田原の軍に、信包、織田常眞に對面せんとて從者を遠ざけ、辰政只一騎を具して赴かれけるに、江川の丸より橫筋かひに鐵炮を打かくる。辰政、信包の矢面に乘り塞りし故、母衣に鐵炮の玉三つ中る。信包大に感賞して脇差を與へらる。辰政此時七郞といひけり。池田家に仕へて丹波と稱し、又出雲と改む。