天正十年十月柴田因幡守退治に、上杉景勝出馬にて候。景勝先手本條越前守、村上出雲守、新津加治等初合戰に出られ、方上橋といふ所迄敗軍仕り候。景勝旗本迄因幡守乘懸り大事に及ぶ所を、上杉義春後入庵は旗本前備にて罷あり候。景勝の紺地日の丸の旗をとり三十間程先へ押出し、義春手廻の士共下馬致させ、鎗を取りて膝の上に置き、芝居に折敷備を立候に附、因幡守引歸し引取り候處を、義春備を以て慕ひ追討仕候。此時宇佐美民部勝行は、甲附の首を二つまで高名して、其身も手負ひて旗本へ來り、勘當赦免の爲め景勝へ目見を願ひけれども、父の仇の末と思はれ、目見を許されず。是は民部父駿河守定行景勝實父長尾政景をころせしゆゑなり民部は、二つの首を持ち淚を流し罷有り候を、上杉家の平林內藏助、井上三郞兵衞、落合淸右衞門、其場に有合せ、能く見て後に語り候。此時民部は、義春手に附出陣仕候由。