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○米倉丹後が子彥十郞鐵炮疵妙藥の事

拾遺 卷之三 第25話 · 段落 1 · NDL 1078984 417コマ L

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氏康公松山を攻むる時、信玄に救を乞ふ。此時甲州の士米倉丹後が子彥十郞、炮玉に中りて死なんとす。甘利左衞門が組なれば、甘利、米倉が陣屋に至りて傷を見る。手負の血胴に落ちて死なんとするに、蘆毛馬の糞を水に立てて用ひば必ず功有り、といふ者あり。米倉が僕之を調じて勸む。米倉不㆑飮して曰く、之れを飮んで必ず可㆑生か可㆑死か未だ知らず。果して死せば不㆑飮とも有らん。假令生きたりとも、畜類の糞を飮んで其恥を如何せん、とて服せず。甘利色を正して、御邊の言會て理なし、命を保ちて忠をなし孝を行ふは、道の重きにあらずや。獸糞を飮みたる恥は輕きにあらずや。小辱を不㆑忍して大道捨つるは狂するに似たり。是勇のみ有りて智を不㆑盡の失なり。此藥飮惡きこともあらん、我先へ試むべし、とて二口三口呑みて舌打して、甚だ呑よし、とて米倉に與ふ。米倉理に伏し、則ち服して快復することを得たり。信玄聞きて甘利を譽めらるゝこと甚し。或人曰く、米倉終に糞汁を飮まずして死せば、勇にのみ僻するもの、是れ潔事に思ひ、此類の藥を忌嫌ふ風俗となり、後來幾人か橫死せしも計るべからず。且陣中にては專ら如㆑斯手輕き藥を以て珍とすべし。