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河内国八尾
本文表記 矢尾・八尾
土方三九郞武功の事 卷之十三 · 1
- p02…澤掃部と土方に預く。三九郞此時六左衞門と言ひけり。五月六日に矢尾の堤森有る所に東に向きて押しける時、朝霧深く物色定かならず。…
井伊木村挑戰重成討死井伊家諸士功名の事竝橫田甚右衞門藤堂高虎を激す事 卷之二十一 · 1
- p12…、と申す。東照宮、さぞあらん。必定勝なり、と仰せられけり。又矢尾にて藤堂が先陣敵に向ふ。渡邊勘兵衞敵と競合ひし時、高虎馬を御…
藤堂家合戰渡邊勘兵衞功名の事竝渡邊始末の事 卷之二十一 · 6
- p03…。六日の朝道明寺に軍を進めんや如何に、と評定未だ決せず。了、矢尾平野は兵を下知すべき地利にあらず候。見て來らん、とて猩々緋の…
- p03…を寄せられよ、と云ひ遣し、頓て片山まで乘行き西の方を見れば、八尾より若江まで大坂の軍押續き、しぐろうで東方の先陣に目をかけ、…
- p03…云ひ捨てて、了は山土阿野村に向ひけり。高虎の士大將、我も〱と八尾道を西に地藏堂を見て駈行きしは、了、去年故有りて高虎に暇給は…
- p03…功を立てん、とて了が詞を耳にも聞入れざるなり。長曾我部盛親は矢尾の堤森ある處に進む所に、朝霧の間切より物色は定かならねども、…
- p03…親が亂足を追返し、仁右衞門等が討たれし地を踏敷きたり。盛親は矢尾一町ばかりの西に橋を後に當てて控へ居たり。了愈勇み切つて懸ら…
- p03…、今朝より敵に比ぶれば五分一又は三分一の軍兵にて每度打勝ち、八尾にて味方を扶け橫合に敵を破り候。渡邊無くば味方は泥に追入れら…
同時木村長門守敗北の事 拾遺 卷之四 · 2
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