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松平信綱
본문 표기 信綱・松平伊豆守信綱・長四郞・此人・伊豆守殿・伊豆守信綱・伊豆守源信綱
松平(長澤) 第二 · 17
- p002…伊豆守源信綱は、右衞門大夫正綱が子、實は大河內金兵衞入道休心が孫、金兵衞久綱が嫡男、…
- p002…兵衞久綱が嫡男、伯父正綱に養はる、慶長九年七月、左大臣家御誕生ありし時、信綱わづか九歲にて若君の御家人になさる、信綱童名長四郞と申、…
- p002…七月、左大臣家御誕生ありし時、信綱わづか九歲にて若君の御家人になさる、信綱童名長四郞と申、…
- p002…大臣家御誕生ありし時、信綱わづか九歲にて若君の御家人になさる、信綱童名長四郞と申、…
- p003…に、雀の巢をくひ、子を生みたりしを、こなたより御覽じて、欲しがらせ玉ひ、長四郞とりて參らせよとあり、長四郞年十一才のときなれば、いかにも叶ふましきよし…
- p003…りしを、こなたより御覽じて、欲しがらせ玉ひ、長四郞とりて參らせよとあり、長四郞年十一才のときなれば、いかにも叶ふましきよし辭しげれば、君は驚きて飛去る…
- p003…將軍家御刀取て障子引あけ玉へば、御臺所燈火とつて出させ玉ひ、御覽ずるに、長四郞にて在けり、將軍家不思儀にも召て、汝は何しに爰には來りぬるぞと、御尋あり…
- p004…元和九年七月、左大臣家將軍宣旨の時、信綱叙爵して、伊豆守になさる、此年十二月御扈從組の番頭になされ、寛永十年五月…
- p004…正重昌、追討の御使を承て向ひ、西國の軍勢を催して、攻けれども、城落ちず、信綱重て御使を承る、明れば十五年正月元日、重昌打死す、同き四日信綱馳着て、二…
- p004…城落ちず、信綱重て御使を承る、明れば十五年正月元日、重昌打死す、同き四日信綱馳着て、二月廿八日城を落し、三萬七千人が首切て懸け、九州の事共、能く沙汰…
- p005…「此人の才敏なりし事ども、世に傳ふる事、いくらといふ數を知らず、されども、其事…
- p005…勞をもなぐさめ、主に仕ふる忠をも勸めんやと、諫むる人も謗る人もありけり、信綱是を聞て、君いまだ幼なく渡らせ玉ふ、今に當て、功勞ある人に、恩賞行はるゝ…
- p005…こともあり、是はいかさま只事にはあらじと、上中下の心も、靜かならず、其時信綱の、立所に執り行ひし事、殊に皆其所を得て、程なく天下また其他も靜かに治り…
- p005…執政の人々の、衆議一决してこそ、斯はありけめとも、謗る事も、譽むる事も、信綱一人の計りしやうに、世にいひしことは、是れ併しながら、名譽のいたす所なり…
- p006…嫡子甲斐守輝綱年十九歲、父に隨て、嶋原に趣く、信綱思ふ所あつて、堅く制しければ、軍をはせず、…
- p007…城陷ちんとする時、輝綱一騎馬を駈て城に向ふ、親父信綱大に怒り、岩上角左衞門某といふ郞等して、押止しむ、岩上はせ着き、馬の前に…
- p007…、岩上角左衞門某といふ郞等して、押止しむ、岩上はせ着き、馬の前に立塞り、伊豆守殿將軍家の御代官として、向はせ玉ひしに依て、諸軍と功を爭ふべからずと、御手…
水野 第三 · 9
- p005…の軍勢をひきゐて、かれが立こもる城を攻む、城いまだ落ちざりげれば、重ねて松平伊豆守信綱を、さしむけらる、明る十六年正月元日、重昌うち死す、初め將軍家、信綱に仰…
- p005…豆守信綱を、さしむけらる、明る十六年正月元日、重昌うち死す、初め將軍家、信綱に仰下されしは、日向守勝成は、さる古兵なれば、彼等父子が、向はざらん程は…
- p005…子が、向はざらん程は、只遠攻にせよ、軍して兵うたすべからずとありしかば、信綱かしこに至りて、軍を留めて、勝成が至るを待つ、勝成わざと日數歷て、二月廿…
- p005…、勝成わざと日數歷て、二月廿二日にぞ着きたりける、同廿四日、寄手の人々、信綱が陣に集りて軍評定す、戶田左門氏鉄進み出て、我等仰を蒙りて候ひしには、相…
- p005…れ、たゞ遠攻にして、城中粮盡くるを待ち給ふべくや候はんとぞいひたりける「信綱勝成にむかひ、日向守殿の御謀承り度候といひしかば、今天下一統の世と成て、…
- p005…勿論なり、けふの軍の評定は、竹釘軍といふものにて頭たる者は無きに似たり、伊豆守殿追討の御使として御下知あれば、勝成が存ずる所、此たびの大將、此人とこそ存…
- p005…り、伊豆守殿追討の御使として御下知あれば、勝成が存ずる所、此たびの大將、此人とこそ存ずれ、彼が御下知あらん事、いかでそむき申べき、老人の長居難義なり…
- p005…諸手一同に、城せめ破るべき日に定めらる、かゝる所に、廿七日の朝、人々また信綱の陣に集る、鍋嶋既に城中に攻入るといふ程こそあれ、諸手一同に先を爭ひ、上…
- p005…、勝成はおのが陣に在て、少しもさわかず、手勢五千を引ぐし、子息美作守が、信綱が陣より歸るを待て、さきがけさせ、本城に攻入て、一番に旗をぞ立てたりける…
戶田 第四下 · 1
- p001…城に移る、十万石同き十五年の春、肥前國島原の逆徒追討の御使として、松平伊豆守信綱と共に馳向て・九國の軍勢を下知して攻亡す、同き十八年八月三日、若君御誕生…
山口 第六 · 2
堀田 第六 · 7
- p004…かくてこの事披露ありて、正之朝臣を先として執政の人々僉議ありしに、伊豆守信綱一人、上野介が心狂じてこそかくは侍るらめと申ける、さるは此諫書のさす所、…
- p004…、上野介が心狂じてこそかくは侍るらめと申ける、さるは此諫書のさす所、偏に信綱が執する所を深く非するに似たり、また正之忠秋ばかりを以て上所とす、これと…
- p004…するに似たり、また正之忠秋ばかりを以て上所とす、これといひ、かれといひ、信綱、上野介が所爲を憎み思ひ、かく申し妨くるにやと思ひけるが、正之朝臣は、た…
- p004…も身をも忘れて、君を諫め申條は、如何で狂氣とは申さるべきと宣ひけれども、信綱は正信が狂氣疑ふ所あるべからずとのみ爭ふ、正之朝臣重ねて、正信は故加賀守…
- p004…忠を存ずる者なるを如何であへなく狂人と定めらるゝ事あらんやとありければ、信綱仰せ承て候、故加賀守が嫡男なれば、如何なる罪を犯したりとも、一度二度はな…
- p004…、如何なる罪を犯したりとも、一度二度はなど御宥めなかるべきと存るに依て、信綱は彼を狂氣と思ひなして侍ると答ふ、人々猶も不審に思ふ氣色なりければ、其時…
- p004…は彼を狂氣と思ひなして侍ると答ふ、人々猶も不審に思ふ氣色なりければ、其時信綱いひけるは、彼の諫言を見るに、領する所の城地盡く返へし奉る、それを又御不…
太田 第六 · 1
- p009…諸役人帳等には、少老職なりと載す、家の系圖には、しかは見えねども、松平伊豆守信綱阿部豊後守忠秋等六人と連署して事を執りしと云ふ、資宗初め慶長十七年の…
鍋島 第八上 · 2
有馬 第九下 · 1
- p016…、左衛門佐直純、軍勢を引率して、押寄せ攻め破らんとぞ進みける、追討の御使松平伊豆守信綱が使、七八度に及ひし後、有馬父子、先陣を鍋島に讓て引返し、明れば廿八日に…
古田 第十二下 · 1
- p006…りてぞ用ゐける、世の人皆興ある事に思ひ學ひて、世に全き者のなからんとす、松平伊豆守信綱の實父大河内金兵衞久綱、常にかたへの人に言ひしは、必禍ひに罹りて死すべき…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히