天正十年瀧川左近將監一益は信長の命により、關東の管領として諸將の質を取り、上野の厩橋に在りける處に、六月七日信長弑せらるゝの變を聞き、老臣共事を祕さんといへども、一益惡事千里といふ諺あり。祕すること能はじ、とて上州嶺の城主小幡上總介信眞、鷹巢の城主鷹巢三河守信尙、金山の城主由良信濃守國繁、館林の城主長尾但馬守顯長、小股の城主澁川相摸守義勝、倉賀野の城主倉賀野淡路守秀景、白倉の城主白倉左衞門佐藤、岡の城主內藤大和守秋宣、安中の城主安中越前守、高山の城主高山遠江守重光、五閑の城主五閑刑部、小泉の城主富岡六郞四郞、石倉の城主長根縫殿介、大戶の城主大戶民部直光、木部の城主木部宮內貞利、和田の城主和田右兵衞大夫信業、那波の城主那波對馬守宗元、武州忍の城主成田下總守、深谷の城主深谷左兵衞憲盛、松山の城主上田又次郞政朝等の諸將を招き、信長の變を告げ、各の人質を歸し、急ぎ上京して弔軍すべき旨を語る。諸將大に感じ、此一大事を告げて人質を歸されんと候に、如何でか二心候べき。人質を其儘置きて仰に從ふべし、と言へば、一益諸將の義心謝するに詞も候はず。北條の表裡定めて一益を討取りて上野を押取るべきならん。此方より打向ひ一軍せんものを、とて城には同姓の彥次郞忠往を守に置き、一萬許の兵を率ゐて神奈川に押出す。
○瀧川一益厩橋を退く事
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北條氏直果して小田原より兵を出し、武州兒玉郡本庄に著きて、先陣北條安房守氏邦神奈川に押寄す。一益は川を後にして相戰ふ。大敵支へ難く討たるゝ者多し。一益厩橋に歸り、其日討死せし人々の姓名を過去帳に書きて、黄金を添へて寺に送りて供養し、諸將を集め暇乞とて酒宴し、一益鼓を打ち、兵の交り賴有る中の、と謠ひければ、倉賀野淡路守、名殘今はと鳴鳥、と囃し、終夜酌み醉ひて太刀刀取出し、上州の諸將に引出物にし、懇に暇を乞ひて六月二十日厩橋を打出で、各人質を歸しけれども、皆請取らずして驛馬等の事沙汰し、是を送りて笛吹嶺に至る時、國人の人質悉く歸し、木曾路より歸京す。瀧川彥次郞は一益が長男三九郞、二男八丸を伴ひ木曾路にかゝる時、一揆起り八丸を奪ひ取られしを、一益が士古市九兵衞一揆を追ひ拂ひ、八丸を奪ひ取りて一益と同じく長島に歸る。