e207.p01校訂済166R:8–11別秀吉鎌倉の鶴ヶ岡に詣でて、八幡宮の戶を開かせ賴朝の像を見られしが、脊中を打叩き、微賤より出て、日本を掌に握る事我と御邊と二人なり。然れども賴義父子鎭守府將軍として東國の者共久しく親み多かりき。蛭が小島より兵を起されしに、關東の靡き從へるも謂れ無きに非ず。我は土民の中より斯く日本を思ひの儘にすれば、功尙高し、と言はれけり。