e208.p02校訂済166L:2–5別野州佐野辛澤山の城主佐野小太郞藤原宗綱、天正十三年討死して子無し。家臣連判の起請文を小田原に送り氏政の弟氏忠をもて家を繼ぐ。宗綱が伯父天德寺了伯は佐竹の一族の中を乞ひて、佐野の家を嗣んとすれども是を用ひず。了伯は夫より京都に赴き、黑谷に閑居せしを、秀吉北條を伐たるゝ時、嚮導とせられしなり。
e208.p03校訂済166L:6–9別物語させて聞れしに、武田上杉の弓箭盛なりし事を申しければ、秀吉冷笑ひ、如何に天德寺謙信信玄といふ坊主も疾く死たるこそ幸なれ。今に存命へ居ば一人には薙刀を擔げさせ、一人には吾輿の先なる朱傘を持たせて、馬の前に召具すべきに、此世に無ければ力無し。何條車がかり、坐備、皆戲言なり、とぞ言はれける。