慶長二年日本の軍復渡海し、黑田長政の先陣栗山備後利安、後藤又兵衞基次、衣笠因幡、母里但馬、黑田宗右衞門以下三千許和寧館豐臣家譜全義館に陣せし處に、明の援兵押寄する。其由長政に告げよ、とて書簡を書きけるを利安見て、敵懸り候間早々に救はせ給へと言ふ詞や有る。書き改めよ。敵押寄せ候。先陣は少も心を勞せらるゝ事有る可からずとこそ申すべけれ、とて直させてぞ告げたりける。斯くて敵寄來れば利安先陣して打破りたり。長政聞くと等しく打出て揉みに揉んで駈け來られしに、敵早護龍臺を指して敗北しけり。先利安か陣所に入りて、何とて軍を仕たるや、と言ひも終らぬに、利安目を見出し、押寄する敵に辭退する事や候、と申す。長政、汝等討死せば我生甲斐無しと思ひて斯くは言ひしなり。何とて疾告來らざるや、と言はれしかば、傍より、告げ申す書簡の詞を書改むるとて遲かりき、と申す。利安、夫は臣が改めさせて候。仔細は云々なり。假令疾く救はせ候へと申すとも、行程隔りたれば無益なり。敵は四萬許も候はん。味方必死を思ひ定めて軍すべきにて候。假令屍を異國の野原に晒すとも、名は後の世に傳はるべし。黑田が先陣の剛の者共、大敵に取卷れ潔く討死したりと言れなん。又疾く救はせ候へと申さんには、後日に黑田が者共主君の援ひを待ち兼ね、皆打殺されたりと人に笑はるべし。是日本の武名を穢すに候はずや。弓箭取身は假にも名こそ惜く候。且は今生に暇乞と存じて、告げ奉る書簡殊更に改め申しき、と申しければ、長政大に悅ばれけり。