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○西村孫之進武功の事

卷之十七 第2話 · 段落 1 · NDL 1078984 280コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

大坂夏陣に眞田信仍と伊達家と軍する時、伊達家の騎馬鐵炮を打立てたれば、玉の飛ぶこと霰の降るが如く、信仍が軍兵共折敷きて、鎗を敵の方へ差向け堪へ居たるに、西村孫之進といふ者、討れたる味方の屍二つを重ねて盾として居たるに、玉一つ來て二つの屍を打通し、孫之進が肩に傷きたれ共、薄手なり。鎗を握りたる左の拳の大指こそばゆくて氣味惡く覺え、殘る指四本にて大指をにぎり込みて堪へたり。全身の危き事は忘れて、大指の先の斯の如きは怯ぢたる故ならんと思ひて、左右を見るに皆然したり。又側に並び折敷きたる者に、玉の中る音甚だ强く響きて、我身に中りたるかと覺えし、と後に人に語りけるとぞ。此時孫之進伊達家の秋部甚平といふ者を討取りけれ共、其姓名を知らず。落城の後孫之進、未だ何れの家にも仕へずして江戶に赴き居たりしが、相知れる者の方へ行きて物語する時客來れり。主人西村が事を語りて、大坂にて事に逢ひたる物師なり、といふ。彼の客は伊達家の士海道林左衞門と言ふ者なるが、誰の陣にか御座せし、と問ふ。西村、眞田左衞門佐が許に有りし、と答ふ。客の曰く、さては五月六日の戰にての事なるべし。具に承り候はばや、と問ふ。西村聞きて、させる事にても候はね共、尋ねに附きて申すべし。伊達家と始の一戰終り、後の軍殊の外激く、伊達家の陣を七八町許も有るらん追立てたる處に、三十人許取つて返し折敷かれたり。某共三人鎗を入れ候ひき。某が鎗の相手の間に押隔りて駈入候人を、初鎗にわたかみの外れを突損じ、二の鎗に草摺の間を突いて跳ね倒し、首を取らんとせしに、歷々の人にてや候ひけん、從者と覺しき者二三十人も取卷き候て、手に〱幾刀とも無く切られ候。皆具足の上にて手を負はず候ひしが、鎗にて腰骨を突かれ倒れて絕入り、夫よりは覺えず候。後に承り候へば、眞田が惣軍㗢と押懸り候故、我等が首を取られず候由。彼突伏せたる鎗の相手は、定めて助け遁れたるなるべしと存ずるなり。其後少し人心地附き候に、馬取彌右衞門と申す者、これ程の手にて弱るといふ事やあると云ひて、跡の方へ歸る音微に耳に入りぬ。見捨てて逃げたるかと思ひしに、又來りて腰の手拭を水に浸し持ち來り、口に絞り入れたりし故彌氣附きたるを、彌右衞門肩に懸けて城中に歸り、翌日も其疵故働く事ならず。戰場に出でずして思はざるに存命候、といへば、彼客聞きて驚き、初の鎗を合せ候は、士大將秋部刑部と申す者なり。其間に駈入りたるは刑部が子甚平と言ふ者なり。御物語にて疑も無く候。甚平をば陣屋に連歸りたれども死しぬ。察せられ候通一陣の大將にて候。其日武功の證人には我等立つべきにて候。其證を進せん、とて右の次第を書き、花押を加へて西村に與へ、さて譽田以來の參會珍しき緣なり、とて互に物語して別れけり。西村後に、池田の御家芳烈公光政朝臣に仕へたり。