板倉內膳正重矩の曰く、
○板倉重矩の事
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重矩は伊賀守勝重の孫にて、島原に於て討死有りし內膳正の子周防守重宗の從子なり。瞎にて長卑く、以ての外見苦しき人なりしかども、有德賢才の聞え有りて、寬文二年祿二萬石增賜はり、大坂の御城代たり。寬文五年大雨にて、雷天主に落ちて火出でて燒上りしかば、大坂の騷ぎ大方ならず。萬治三年雷火有りし時、鹽硝の藏に火入りて、死人多かりし事を聞きたりし故なり。內膳正、町奉行彥坂壹岐守、石丸石見守兩人に、鹽硝は皆濠中へ入れたる由振れさせられしかば、騷ぎ靜りけるとぞ。內膳正豫警衞の備固く下知し置かれし故、尼ヶ崎の靑山大膳亮、人數を率ゐ大坂に來り、其備を見て深く感ぜらる。此旨江戶へ聞えしかば、御書を賜はり稱美ありければ、內膳正卽ち家士を集め、是皆汝等が功なり、と讓られしとぞ。同年の冬江戶に召し、一倍の祿を增し賜はり、執政の職を仰せ蒙られけり。同八年京都所司代牧野佐渡守正親の替仰せ出さるゝ內、暫し內膳正を以て京都の事を司らしめ給ふ。上京の後參內の事有り。此禮儀御簾を牛卷上げ1らるゝ例なれども、內膳正恐懼すべき事なれど、天顏に咫尺し奉るの名有りて其實無し。御簾を高く卷上げられ候へ、と奏聞有りしに、尤なり、との勅にて御簾を高く卷上げらるゝ事內膳正一人なりしとぞ。其後又一萬石增し賜はり、下野の烏山の城主たり。重矩若きより詩歌に心を寄せ、學問を嗜み、熊澤伯繼が門人にて嘉言善行多かりき。京都にて加茂川洪水の時、白川より加茂川四條の間へ堤を築かせ、又鞍馬の往來市原といふ所に水流れ、往來の困なりしかば、田地を求め川筋を除き、山路を開かれしかば、內膳死後に及びて此地の百姓共仁德を慕ひ、如意谷に內膳正の位牌を設け、跡を葬ひしとなり。
- 誤植牛卷上げ — 底本「牛」。振り仮名「なかば」から「半」の誤植か。
財寶を奪ひ取る者を昔より盜と名附く。我熟思ふに、大名に盜多し。下士民の善有るを擧げずして棄つるは、是人の善を盜むに非ずや。親族朋友にも善有るを稱せずして過ぐるは、是も人の善を盜むなり。中にも君たる人は下の善を擧ぐべき職に有り、是天より命ぜられたる任なり。人の善を盜みて天命の任を缺くは盜の大なる者なり。我若し人の善を盜まんやと是のみ心を盡すよ、と語られける。又伯父周防守が語りしに、人の生質樣々有る中に、見たる處の憎き者有り、愛すべき人有り。此憎き人を見ては善言も惡樣に聞きなすぞかし。況や直言を言へば愈憎む者なり。又愛すべき人の言ふ事は、善からぬ事も善く聞きなすものなり。是心得べき事なり、と父なりし伊賀守常に戒められしは格言なりと。又語られしに、儉と吝と相似て、その本大に異なり。儉は事の費を厭ひて奢侈ならず、用ふべき事に財を用ふるをいふ。吝は是非の論無く一向に物を惜むなり。又戒められしは、我心に叶ひたる者の言ふ事は何事もよく聞え、行路のよからぬも心附かず。又我事を憚る所無く直言する人は、道理の至極せるをも外になし、其詞の無禮を罪とす。是皆事を過つの元なりと。其前一萬石の中甚だ貧しかりしに、新に儉約の法を定め、先自らの事を第一に守られし時の歌、
もとめなき心もこともおのづから任せて過ぐる身こそ安けれ