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○尼崎幸右衞門が女親の仇を擊ちし事

卷之二十五 第2話 · 段落 2 · NDL 1078984 379コマ R

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讚州丸龜、京極備中守高豐の弓足輕尼崎幸右衞門といふ者あり。同じ弓足輕岩淵傳內といへる者、幸右衞門が妻に心をかけ、幸右衞門が在らざる時樣々に言ひたりしに、中々受引く氣色も無く辱しめけるが、又或夜來りしに肯はずして有りし處に、幸右衞門外より歸りて此由を見、傳內無禮者、と怒りしかば、叶はじと思ひ刀を拔きて、幸右衞門を一刀切つて逃ぐる。女房は小女を抱き居しが、其處に棄てたる夫の脇差を拔いて、傳內が逃ぐるを追駈けしかども逃延びしかば脇差を投附けたりしに、傳內が右の肩に少し疵附きぬ。冬の末夜にて雪は降りぬ、終に行方を知らず。女房立歸り見れば、幸右衞門深手にて死したりしかば、嘆き悲しむ事大方ならず。傳內は重罪の者とて尋ねられしかども行方を知らず。幸右衞門妻は、妹の夫なる關根元右衞門といふ者の方に月日を送れり。只朝夕に夫の最後の有樣口惜く思ひつゝ、歎きの餘に病附き、翌年二月に死しけり。三歲になりける女は叔母の養育にて十三歲になりて、名をりやといふ。元右衞門夫婦を實の父母なりと思ひ居けるに、或時細やかに父母の事ども語り聞かせ、汝が母は我爲に姉なるが、せめて此子が男なりせば、仇を討つ事も有るべきに口惜やと、明暮嘆きて空しく成りぬ、と語りけるに、りや大に驚き、今まで夢にも知らざる事どもなり。御勞により斯樣に人と成りぬる事の忝き由言ひて、潛々と泣くより外の事なし。さて十六歲に成りける時兩人に向ひ、江戶に參りて奉公仕らん。父母の爲に諸國の觀音にも參詣せばやと存ずるなり。萬に一つも仇討つべき憐をも神佛に祈らばや、といふ。兩人色々止むれども中々止るべきに有らざれば、京極家の侍村瀨藤馬といへるが、江戶に赴くに賴みて差添へ遣す。りやは江戶に赴き、番町の永井源介と言へる御旗本の許に奉公に出づる。源介は劍術の弟子數多日每に來る。りやが勤むる有樣、殊外心を附けて奉公するに、誠に珍しく思ひ、如何なる者の子にや、と尋ねらるゝに、りや詳に事の子細を語り、父の仇を報い申さん志に候由淚を流し答へければ、源介つく〲と聞きて、女なりともなどか父の仇を討たざるべき。まづ我劍術の弟子となれ、とて敎へ試むるに、才氣有りて思ひ入つたる志なれば、劍術も程無く進みけり。夫婦彌勞り愛せり。二年に及びて主人いへるは、爰にのみ居たらんより、主人を數多取換へて仇を尋ねよかし、と樣々に心を附けたりしかば、夫より此處彼處奉公せしに、旣に十二年を過ぎて主人七十人に及べり。其後本庄なる坂部安兵衞と言ひし御旗本の家に奉公せしに、小泉文內とて五十餘なる男の有りけるが、平生酒飮にて、壯年の事共何くれと語り出し大言せしが、若氣にて人の女房に心を懸けたりし事により、其夫を切つて棄てたりしが、昨日の樣に思へども早く月日も過行きけるよ、と物語せしを、りや聞きて、如何樣にも似たる事も有るよと思ひ、たしかに聞屆けん物をと心の中に思ひて、夫は嘘なるべし、といへば、爭でか僞を言ふべき。今迄人に言ひつる事は無けれども、年月は過ぎつ、國は隔りぬ。委き事いざ語るべし。我は元讚州丸龜にて京極家の者なり、とて有りつる次第を言ひて、幸右衞門に子有りつるが、女なりと覺えたれば懼るゝ事も無し、とて肌を脫げば、軈て母の投附けたりしと聞きし脇差の痕も見えつ。りやは只今爰にて討ちなんと立上らんとせしが、もし討損ひたらば如何すべきと思ひ返して、何となく其坐を立ち、其明の日永井の許に行きて斯々と語りければ、源介大に悅びて、則ちりやを打連れて京極家の村瀨が方に行き告知せたりければ、則ち備中守に申して公に訴へたり。坂部の許に公より糺さるゝに、彌紛るゝ事無かりければ、文內を京極家に渡し給はりぬ。まづ文內をば獄に入置き、鳥越の下屋敷に虎落を結ひ、日を定め文內を獄より出して、勝負の場に出されたり。村瀨、りやを連來りぬ。肌には鎖の著込を著、白縮緬の鉢卷して、一尺餘の小脇指に二尺三寸の刀差し、虎落の內に入る。村瀨、りやに、用意せよ、といふ。其時りや、如何に文內、汝が手に懸けたりし尼崎幸右衞門が女なり。今更出合ひたる事天道の冥加なり、と詞をかくれば、文內、汝に語り落されて、古き事を明したるは無念なれども、此刀にて父も子も手に懸けん、とて三尺許の刀を抽いて切合ひけるが、橫に拂ふ刀に肋を切られ、二の太刀面に當りひるむ處を、りや蹈込んで乳の下まで切下げ、押伏せて靜に首を切り、二十餘年の間志したる仇只今討つて、父母に手向候、と撿使に言ひたりしを、感ぜざる者なし。備中守も悅びて、俸米輕き身の娘なれども、孝行けなげ、さばかりの士にも爭でか劣らん、とて息女に附けられけるとぞ。