淺野左衞門家人永田治兵衞は、病者にて駈走ること自由ならず。若者共內々は、あの病者にては何の役にも立つべからず、と嗤ふ。永田之を傳聞き、人足は達者次第、侍は剛の者のみ役に立ち、無病又病者に因るべからず、といふ。樫井にて大坂方淡輪六郞兵衞を討取り、其首をもぎ附にして持參し、病者に劣りたる息災人、と日來嘲りたる人を笑返したりといふ。淡輪六郞兵衞墓石塔樫井にあり。甥の淡輪新兵衞立てたりと聞く。其時の一番の吟味は、樫井一戰の時龜田大隅守惣手の殿して後より退く。上田主水は先へ退いて樫井の町中の裏に隱居る。龜田を遣過して後にて家より出でて町中にて堪へ、大坂勢と鎗を合せ一番鎗なり。龜田は河原の敵を追拂ひ、町へ駈入り鎗を合する、と淺野右近、土井大炊頭へ咄候を聞きたる人物語なり。