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島津義久
本文表記 義久・島津・主君
高橋紹運討死の事附立花統增薩摩に囚るゝ事 卷之八 · 7
- p01…島津義久、島津圖書忠長、伊集院右衞門大夫忠棟を大將として、兵五萬を以…
- p01…尠とも動かず。四方を圍みて嚴しく攻めたりけれ共驚く色も無し。義久の士大將新納武藏守忠元矢留を乞ひて、城中に申す可き事の候、と…
- p01…して復家の興る可きに候はず。古き詞に一張一弛と申す事の候。疾義久と和平せられ候へ、と言ひければ、紹運聞きて、斯申すは高橋家に…
- p06…津圖書頭、伊集院右衞門大夫、兩先陣にて筑後國高良山に押入り、島津義久、同兵庫頭義弘は肥後八代に旗本を陣し、所々を燒働す。筑紫廣門…
- p06…岸にて箭一つ仕らん、と答へられけり。斯る處に八代に陣せられし義久より兩將に下知し、秀吉師を出して打向はるゝ由云ひふらせり。疾…
- p06…千臺まで進まれしかば、統虎使を以て、統增を渡し給はらんや、と義久の陣へ云ひ送られければ、義久子細に及ばずして返し參らすべき由…
- p06…を以て、統增を渡し給はらんや、と義久の陣へ云ひ送られければ、義久子細に及ばずして返し參らすべき由答に及びしかば、十時攝津守を…
志賀親次山海が嶺に兵を伏する事 卷之八 · 5
薩摩勢根白の砦を攻むる事 卷之八 · 1
- p01…郞右衞門を始め、大剛の兵共先を爭ひて切つて出で相戰ふ。義弘も義久の子にて素より聞ゆる勇將なり。薙刀を提げ眞先駈けて、只今此城…
新納武藏守豪氣事の 卷之八 · 7
- p01…なり。勇名を以て指を折る時第一なり、とて大指武藏と稱しけり。義久秀吉に降參の時、新納は肥後の堺泉の城に在り。一說に大口と…
- p01…ばかりの嶮難にて輙く打入り難し。武藏守暫く支へて後、一說に義久斯くと聞きて大に驚き疾く降參せよと下知せられしといへり今…
- p01…に驚き疾く降參せよと下知せられしといへり今は是までなり。主君旣に降參せし上は家臣の身として爭で其の心に背かんや。弓箭の禮…
- p02…一說に、島津降參の後、鹿兒島の外の城々は壞つ可き由秀吉下知せられしに、新…
- p02…稱して引籠り居たりしに、秀吉聞かぬ體にして歸京ありけり。其後島津上京し武藏守も供したりしに、程經て秀吉、何とて新納が城をば壞…
- p02…と問はれしに、武藏守人々の答を待たず進み出て、仰せ出されし旨義久下知せしか共、承り入れずして軍を志し居たりしに、踏過ぎて通ら…
- p02…口に在りて、宮部善祥坊を始として先陣の人々に迫合ひたりしに、島津降參の由告げ來り引返し候ひぬ。島津が兵を以て日本國の大軍を引…
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